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保志光 信一(ほしひかり しんいち、1984年7月25日 - )は、モンゴル・ウランバートル出身で八角部屋に所属した大相撲力士。本名はドゥグチン・パグワー(モンゴル語キリル文字表記:)。身長183cm、体重113kg、血液型はO型。得意手は右四つ、寄り、投げ。最高位は西十両筆頭(2008年3月場所)。2011年の大相撲八百長問題において、引退勧告処分を受け、引退した。'')。身長183cm、体重113kg、血液型はO型。得意手は右四つ、寄り、投げ。最高位は西十両筆頭(2008年3月場所)。2011年の大相撲八百長問題において、引退勧告処分を受け、引退した。 == 経歴 == 2000年10月に来日し、2000年11月場所で初土俵を踏んだ。同期には同部屋で同じモンゴル出身の保志桜がおり、その保志桜と細い体ながらも競い合って番付を上げていき幕下に定着した。2007年3月場所で7戦全勝で幕下優勝を果たし、翌5月場所では番付を幕下筆頭まで上げた。しかしその5月場所では序盤に3連敗して、翌場所の十両昇進は厳しいと思われたが、その後は4連勝。見事勝ち越しを決め、場所後晴れて十両昇進を果たした。 新十両の2007年7月場所では、関取最軽量ながらも、キレの良い動きとしぶとい足腰を見せ8勝7敗と勝ち越した。その後は2008年1月場所まで4場所連続勝ち越しと順調な出世ですぐ入幕すると思われたが成績が足踏みする事が多く、惜しくも入幕を果たせなかった。2008年以降は目まいなどの体調不良のため精彩を欠くようになり、2009年7月場所以降は関取の座から遠ざかった。 2008年11月場所の若天狼戦では、若天狼の突き、押しにあっけなく土俵を割って敗れたが、この一番を無気力相撲と日本相撲協会監察委員会からみなされ、友綱監察委員長から注意を受けたと報道された。しかしその後友綱親方は「八角親方にはっきりと意思が伝わっていなかった」として注意を撤回した。保志光はこの場所通院しながら出場しており、体調不良が原因と説明している。 2011年4月1日、大相撲八百長問題に関する相撲協会臨時理事会の結果、引退勧告を受け〔八百長関与23人に厳罰=理事3人も引責辞任-相撲協会 時事ドットコム 2011年4月1日〕、他の処分を受けたモンゴル人力士や白鵬と話し合った結果〔処分者が引退・退職届を全員提出へ…八百長問題 スポーツ報知 2011年4月5日〕、4月5日に引退届を提出し受理された〔19人が引退・退職届 谷川親方だけ提出せず MSN産経ニュース 2011年4月5日〕。この引退によりモンゴルに住む家族が中傷されており、同じく八百長問題で引退した徳瀬川、光龍、白馬、猛虎浪とモンゴルで釈明会見を行った〔関与認定19力士全員が引退届提出も「納得はしていない」…八百長問題 スポーツ報知 2011年4月6日〕。4月7日、白馬と共に相撲協会を訪れ、放駒理事長らに最後の挨拶をした〔元白馬ら理事長にあいさつ 八百長関与認定で引退 MSN産経ニュース 2011年4月7日〕。 2012年7月からウランバートル市内で雑貨屋を開業。そこでは相撲にちなんだ土産物も売っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「保志光信一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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