翻訳と辞書
Words near each other
・ 保科正徳
・ 保科正景
・ 保科正殷
・ 保科正率
・ 保科正益
・ 保科正直
・ 保科正経
・ 保科正英
・ 保科正貞
・ 保科正賢
保科正頼
・ 保科武雄
・ 保科氏
・ 保科洋
・ 保科百助
・ 保科近悳
・ 保科頼母
・ 保税
・ 保税倉庫
・ 保税倉庫留置


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

保科正頼 : ミニ英和和英辞書
保科正頼[ほしな まさより]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほ]
  1. (n,vs) guarantee 
: [か]
  1. (n,n-suf) department 2. section 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 

保科正頼 : ウィキペディア日本語版
保科正頼[ほしな まさより]
保科 正頼(ほしな まさより、 寛永17年1月24日1640年3月16日) - 明暦3年2月1日1657年3月15日))は、陸奥会津藩の世嗣。会津藩主保科正之の次男で嫡男。母は藤木弘之の娘お万の方保科正経石姫の同母兄、松平正容の異母兄。幼名は虎菊。官位は従四位下長門守侍従
== 略歴 ==
慶安4年(1649年)、10歳ではじめて伯父の3代将軍徳川家光に謁見する。明暦元年(1655年)には会津に赴いている。
明暦3年(1657年)に明暦の大火が起こり、正頼は三田の会津藩邸の消火の指揮を行う。しかしもともと病弱だったため、その時に患った風邪が悪化して火事より10日後に死去した〔野口『シリーズ藩物語、会津藩』、P50〕。正之は深く悲しみ、正頼の遺体を会津に搬送し、院内山に葬った。この院内山に正頼の墓が定められたことから以後、会津松平家の当主とその家族は院内山に葬られるようになり〔野口『シリーズ藩物語、会津藩』、P51〕、後に「西の御庭」と呼ばれるようになった。代わって、同母弟の正経が世嗣に定められた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「保科正頼」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.