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信濃国(しなののくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。 『万葉集』での枕詞は「水薦苅(みこもかる 〔『長野県史 通史編』は、「賀茂真淵らの誤読により『みすずかる』が広がったが、今もって通用しているのは地元長野県内だけである。通常『みこもかる』と読んでいることは、われわれ長野県人が充分承知しなくてはならない問題点である」と指摘している。(第1巻 p.849)〕)」。 == 「信濃」の名称と由来 == 「科野」の語源については諸説あるが、江戸時代の国学者である谷川士清は『日本書紀通證』に「科の木この国に出ず」と記し、賀茂真淵の『冠辞考』にも「(一説では)ここ科野という国の名も、この木より出たるなり。」と記しており、「科の木」に由来する説が古くから有力とされている。また賀茂真淵は「名義は山国にて級坂(しなさか)のある故の名なり」とも記しており、山国の地形から「段差」を意味する古語である「科」や「級」に由来する説を残している。他に「シナとは鉄に関連する言葉」とする説もある。また風神(シナトヘノミコト)説もある〔古川貞雄「風土と人間」 古川貞雄・福島正樹・井原今朝男・青木歳幸・小平千文『長野県の歴史』山川出版社 2003年 2ページ〕。 7世紀代の信濃を記すものとして知られる唯一の木簡は、7世紀末の藤原宮跡から出土した「科野国伊奈評鹿□大贄」と見えるもので、『古事記』にある「科野国造」の表記と一致する。当時は科野国と書いたようである〔舘野和己「『古事記』と木簡に見える国名表記の対比」、『古代学』4号、2012年、17頁・20頁。〕。これが大宝4年(704年)の諸国印鋳造時に信濃国に改められた〔鎌田元一「律令制国名表記の成立」、『律令公民制の研究』、塙書房、2001年。〕。「科野」は和銅6年(713年)の『風土記』を境に、「信野」を経て「信濃」へと移り変わっていく。長野県で最も古い「信濃国」の文字は、平成6年(1994年)に千曲市屋代遺跡群から発見され、現在は長野県立歴史館に所蔵されている8世紀前半(715年~740年)の木簡となる。『日本書紀』には信濃国について「是の国は、山高く谷幽し。翠き嶺万重れり。人杖倚ひて升り難し。巌嶮しく磴紆りて、長き峯数千、馬頓轡みて進かず。」とある。 平安時代末期から鎌倉時代初期の禅宗の僧によって「信州」と称されるようになった。治承3年(1179年)に仁科盛家が覚薗寺に寄進した千手観音像の木札に「信州安曇郡御厨藤尾郷」とあるのが初出である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「信濃国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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