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信玄公祭り(しんげんこうまつり)は、山梨県甲府市において、毎年4月12日(信玄公の命日)の前の金曜日から日曜日にかけて行われているイベントである。武田二十四将を模した時代行列である「甲州軍団出陣」を目玉とする。都市祭礼の一つであり、地域住民による伝統的な祭礼とは違って、行政主導による山梨県や甲府市のPRが目的である。 武田信玄は戦国期の甲斐国主。甲府市には1919年(大正8年)に信玄を祭神とする武田神社が創建され崇敬を集めており、戦後に観光業の振興からより郷土の象徴的人物と位置付けられている。武田神社では創建以来、信玄の命日にあたる4月12日に例大祭が行われている。 == 沿革 == 発祥は1947年(昭和22年)4月に山梨県観光協会と甲府市観光協会、甲府市商工会議所による共同主催で開始された桜祭りに遡る。桜祭りは花見の季節に合わせた売り出しを目的に甲府城舞鶴公園で開催されたイベントで、最終日は武田神社の例大祭にあわせ神輿の渡御に続いて、地元の甲府市相川地区の住民が甲冑姿で騎馬行列を行っていた。 近代には1895年(明治28年)にはじまった京都の時代祭りをはじめ歴史的観光資源に着目した都市祭礼がみられ、戦後には金沢百万石まつりや名古屋まつりなどの先行例がある。山梨県においても中央自動車道や笹子トンネルの開通により首都圏や中京圏からの観光客往来が促され、産業構造変化で観光業は山梨県の主要産業となりつつあった。天野久県政下の1956年(昭和31年)には観光事業振興五ヵ年計画が策定され自然景勝地や歴史的観光資源が模索されており、武田信玄は観光資源としても着目されていた。『第一回信玄まつり事業報告書』に拠れば、郷土愛の深化と県民文化の向上と観光開発が目的に掲げている。1966年(昭和41年)には第一回「甲府信玄祭り」が開催されるが、各地の伝統的祭礼を取りこみつつ、さまざまな企画を実行した総合イベントであった。 やがて騎馬行列を中心とした構成となり、1969年(昭和44年)放送の上杉謙信を主人公に川中島の戦いを描いたNHK大河ドラマ『天と地と』の影響を受けて観光客招致をはかり、翌年からは「信玄公祭り」と名称を改め、民間企業からも協賛を仰ぎ2日間の日程となった。信玄公祭りは芸能人の活用など観光客動員のための工夫を積極的に行っていたが、1976年(昭和51年)にはオイルショックの影響による経済不況に伴い中止となる事態が発生し、翌年度からは自治体を中心とするイベントに再編された〔及川(2015)、p.9〕。再編後は公道における有料観覧席を問題視する批判も発生し、2012年(平成24年)には通行人が立ち止まることによる混雑を防止するため、駅前ロータリーが高幕で覆われる措置も取られた〔及川(2015)、p.9〕。 1988年(昭和63年)放送の信玄を主人公としたNHK大河ドラマ『武田信玄』の影響により再び活気を取り戻し、信玄役への有名俳優の起用や女性中心の時代行列を行い華やかさを加え、出陣兵士を鼓舞する陣屋を設置するなど、さまざま試みを行いつつ現在に至っている。 自治体中心に移行してからは毎年開催されていたが、2011年(平成23年)は開催予定の1ヶ月前に発生した東日本大震災の影響により35年ぶりに中止となった(東日本大震災のイベント等への影響を参照)。翌2012年(平成24年)は通常通り開催されている。 また、信玄公祭り開催期間から信玄の命日(旧暦では4月12日、新暦では5月13日)にかけて甲府駅南口の武田信玄銅像前に線香立て・賽銭箱が設置され、線香を供えて煙を浴びることにより信玄の知恵と勇気を授かるとする礼拝が謳われている〔及川(2015)、pp.12 - 13〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「信玄公祭り」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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