|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 信 : [まこと, しん] 1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion ・ 長 : [おさ] 【名詞】 1. chief 2. head ・ 長の : [ながの] 【形容詞】 1. long 2. eternal
『信長のシェフ』(のぶながのシェフ)は、西村ミツル・梶川卓郎による日本の漫画。およびそれを実写ドラマ化した作品。漫画は芳文社『週刊漫画TIMES』にて、2011年3月18日号から不定期連載中である。なお10巻までは西村ミツル原作・梶川卓郎作画であったが、11巻以降は梶川卓郎が全て担当しており、西村ミツルは11・12巻のみ料理監修を行い。その後は手を退いている。 == ストーリー == ;第一巻 :料理人ケンは、永禄11年(1568年)の戦国時代にタイムスリップし記憶を失っていた。間者と思われ斬り殺されそうになり、川へ飛び込んで逃げた瀕死のケンを助けたのは、夏という女性の刀鍛冶であった。 :自分自身については過去はおろか、本名すら思い出せないケンであったが、料理の技法や料理に関連する記憶だけは残っていた。まだ蒲焼〔ぶつ切りにして串に刺して焼く調理法で、現代で言うところの蒲焼とは異なる。〕しか調理法が無いウナギを開いて白焼きにする〔醤油もまだ日常的に使用されるようになる以前の時代のため、存在していない。〕、「カモ焼きまんじゅう(実はライスバーガー)」を売り出し、京の都で評判になったケンを、織田信長は自分の料理頭に取り立てた。 :宣教師・ルイス・フロイスを故郷の味でもてなすなどして、信長の下で実力を発揮していくケン。だが伊勢・北畠家討伐に同行したケンは、戦の現実を見ることとなる。 ;第二巻 :伊勢・北畠家との和睦の席で、信長はケンに料理を供するように命じる。その料理を食した北畠具教は、材料も調理法も想像できないケンの料理から、信長との圧倒的な力の差、文化の差を思い知らされ、屈服することとなる。 :信長はケンに将軍・足利義昭に料理を供するように命じる。ケンの料理の味に魅せられた義昭は、ケンを自分の料理人に取り立てようとするが、信長に阻止される。全ては義昭に釘を刺すための、信長の策であった。 :永禄12年(1569年)の新年の宴席にて、来客の急増をバイキング形式でしのいだケンは、旧来の信長の料理人たちの協力と信頼を得ることになる。またこの宴席の後、ケンは信長の正妻・帰蝶に気に入られる。 :4月、ケンは越前の名物を料理として足利義昭に供する。それを義昭が食することは、朝倉攻めを義昭が承諾したことを意味した。かくして信長は、越前に出兵する。 ;第三巻 :信長の朝倉攻めは、浅井長政の裏切りにより失敗する。信長はケンの強運に賭け、退却に同行させる。 :ケンの料理は、同盟者・徳川家康をつなぎとめるため、また浅井方の掘秀村を寝返らせるための工作にと、活用される。 :元亀元年(1570年)6月、信長は浅井氏の北近江攻略へと出兵する。ケンは間者・楓とともに小谷城へと潜入する。そこで信長の妹で浅井長政の妻・お市の方が、浅井氏に殉じる覚悟を確認するも、ケンは浅井方に捕らえられてしまう。 ;第四巻 :ケンは浅井長政に処刑されようとしたが、偏食の娘・茶々に「お子様ランチ」を作り、これを茶々が好んで食べたことで助命される。お市の方の好意により、ケンは小谷城を脱出する。 :6月28日の姉川の合戦において、戦況は浅井・朝倉連合優位で推移する。だが信長の命令により、ケンの「料理の匂いを嗅がせて、興奮した敵兵を正気に戻す」という作戦により、織田・徳川連合は逆転勝利する、 ;第五巻 :ケンは鉄砲の買い付けに堺に向かう森可成に同行することとなる。そこでポルトガル人の「パオン」を再現するという条件を果たして、堺の商人との商談を成功させる。 :信長が浅井氏の息の根を止めなかったことを好機ととらえた三好三人衆が、反信長の旗をかかげ挙兵。その三好党に本願寺も加勢し、挙兵する。その影には、本願寺門主に情報を提供する、西洋の菓子を作る女性の存在があった。 :さらに比叡山も、反信長の旗をかかげ挙兵。近江・宇佐山城の森可成は、3千対3万の圧倒的不利な状況に追いやられた。可成はケンに兵たちに料理をふるまうように指示し、決死の覚悟を促す。 ;第六巻 :元亀元年(1570年)9月19日、森可成は討ち死。圧倒的に不利な状況を打開するため、信長は本願寺との和睦を決意し、足利義昭に仲介を依頼。その条件は、帝の目の前での料理勝負であった。 :料理勝負は菓子と決定。ケンは噂の本願寺の女性料理人と勝負する。信長の思惑通りに、帝は料理勝負に引き分けの判定を下し、期限付きで本願寺との和睦が成立する。 :ケンは配下の料理人たちと、商人を装って朝倉の陣中に潜入。そこで彼らの故郷・越前の雑煮を売る。故郷の味で里心を刺激された兵たちは動揺し、朝倉は撤兵を決意。ここに信長は窮地を脱する。 ;第七巻 :ケンは信長に、松永久秀を饗応する料理を出し、その腹をさぐることを命じられる。ケンは松永久秀という人物を知らなかった。 :信長の間者・楓は、ケンによる特訓で西洋菓子の基礎を身につけ、今井宗久の仲介で本願寺へと潜入。本願寺の西洋菓子の料理人・ようこの助手となる。 :信長は比叡山の焼き討ちを決意。森可成という支柱を無くした家臣たちは、信長の心中をはかりかね、動揺する。だがケンを介して信長の心中を悟った家臣たちは信長に従い、焼き討ちが実行された。だが実際の比叡山は僧は誰ひとりおらず、無人の寺に放火しただけだが、信長の行為は比叡山の僧を虐殺したかのごとく風評として広まる。 ;第八巻 :元亀三年(1572年)、信長は顕如と対面。ほころびかけた本願寺との和睦を結び直す。だがその席で信長は、ようこが作ったナツメグを大量に入れられたマカロンによって、中毒で倒れるも、ケンによって何とか一命をとりとめる。 :松永久秀は三好と手を組み、信長に謀叛をおこす。それに呼応して武田信玄も西上を決意。信長の背後にいる料理人の存在を知った信玄は、秋山信友にケンの暗殺を命じる。だがケンの料理の才を知った信友は、ケンを甲斐に連れ帰る。そこでケンは、信玄の病を治すための料理を作るように命じられる。 ;第九巻 :自らの死期を悟った信玄は、あくまで信長に忠誠を誓いながら、それでもなお自分の身体を労る料理を作るケンに感服し、逃がしてやることにする。 :ケンは徳川家康の陣中へと逃げのびる。三方ヶ原の戦いでの敗北を食い止められなかったケンだが、敗戦にうちひしがれる家康を料理で元気づける。 :かくしてケンは信長の元に帰参するが、信玄との約束により、武田方の事情は一切信長には語らなかった。 ;第十巻 :元亀四年(1573年)、信長の命によるケンのスッポン料理(義昭が独断で改元した元号「元亀」と掛けてあった)に激怒した足利義昭は挙兵。だが信長は兼ねてより岡部又右衛門指揮の下で建造させていた大型船を用いた迅速な行動で逆に義昭勢を包囲。ここに室町幕府は滅亡する。 :さらにはケンによる料理・菓子などの贅を尽くした歓待で権大納言・山科言継を籠絡し、信長は朝廷を動かして「元亀」から「天正」への改元をなしとげる。改元の流れを食い止められなかった本願寺は、間者の存在を疑う。 :天正元年、ここに信長は、浅井・朝倉の殲滅を決意。一方で本願寺は朝倉への使者に、あえて楓を同行させる。 ;第十一巻 :楓が信長の間者と発覚し、下間頼廉によって捕らえられる。だが楓のもたらした情報により、信長は朝倉をわずか八日で殲滅する。 :一方で信長はケンを遣わして、浅井長政に翻意を促すが、あくまで浅井は抵抗を選択。信長は浅井氏を滅ぼすも、ケンの進言と木下藤吉郎秀吉の活躍によって、お市と娘たちは救出される。 :楓を捕らえた本願寺は、ケンを使者として申し開きをするように、信長に通達する。信長はあえてこの誘いに乗り、ケンと明智光秀を使者として派遣する。 ;第十二巻 :ケンは、ようこから自分の身元についての情報を得る。そして「西洋料理を封じること」を条件として、楓の身柄を本願寺から貰い受ける。 :西洋料理に代ってインド・東南アジア料理を披露するケンは、香辛料を得るために堺に向かうが、堺の商人たちはポルトガル商人との間に立り利益を得る中国商人に苦労していた。ケンはそこで中華料理を披露し、誠意を示して歓待し、同席したポルトガル商人の信用を得る。 :天正二年(1574年)、一度は謀叛をおこした松永久秀は、城を差し出すことを条件に信長に詫びを入れる。その久秀の影には、ケンと同じく平成の時代からタイムスリップしてきた松田=果心居士の存在があった。ケンを「葛城」と呼び、信長への繋ぎを頼むがケンに以前の時代の記憶がないと知ると態度を豹変させて去る。 ;第十三巻 :ケンは滝川一益につき従い、武田家を探る使者の一員として派遣される。武田家中のゴタゴタから一時は監禁されるも、ケンの機転で解放される。ケンが作った食事を食べた時の武田勝頼の態度から、ケンは勝頼の並々ならぬ才気を感じ、信長に報告する。そして天正二年(1574年)1月27日、勝頼は東美濃の明智城を陥落させる。一方で武田の脅威を感じた滝川一益は、上杉謙信との同盟継続を信長に進言する。 : ケンの留守中に松田は織田信長に面会し、仕官を申し出るが、この時うかつにも「果心居士」を名乗ってしまう。そして史実通りに「果心居士」は仕官を拒否される。そして松田=果心居士は、「本能寺の変」を起こす人間に取り入る事に目的を変更する。 : ケンは羽柴秀吉につき従い、上杉謙信への使者の一員となる。ここでもケンの機転によって、京都での上杉宛の進物の入手、上杉謙信との同盟継続に成功する。 : 天正二年(1574年)3月28日、ケンの機転と山科言継の取りなしにより、信長は蘭奢待切り取りの勅許を得た。だが、それに先だって松田=果心居士にその事を予言されていた明智光秀は、予言の的中に驚愕する事となる。松田はもうひとつ、光秀が信長を討つ事をも予言していた。 ;第十四巻 : 武田勝頼は徳川方の高天神城を攻略、落城させる。この徳川の窮地に織田は動かず、織田と徳川の間に不穏な空気が流れる。なおかつ松田=果心居士の策謀が、徳川方の不信をさらに煽る。だがケンの料理によって家康は信長の真意を悟り、織田・徳川の亀裂は免れる事となる。一方で自分の策謀の邪魔をされた事から、松田はケンの暗殺を決意する。 : 天正三年四月、武田勝頼は再び三河に侵攻する。信長は岡部とケンに対して、徳川への兵糧米の輸送と、秘密裏の築城を命じる。ケンは地元農民を説得して味方につけるのが自分の任務と悟る。だが地元農民は兵糧米を奪わんと襲いかかり、ケンは捕われてしまう。その背景には松田の陰謀があった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「信長のシェフ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|