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修徳寺(しゅうとくじ)は、大韓民国忠清南道礼山郡にある仏教寺院である。寺の境内から百済の瓦が出土したことから、もとは百済の寺とされている。曹渓宗の五大叢林の一つで徳崇叢林と呼ばれている。また曹渓宗の第7教区本寺である。 湖西の金剛山といわれる徳崇山の斜面に位置している。大雄殿(大韓民国指定国宝第49号)は 1308年(高麗忠烈王34年)に建立されたもので、韓国最古の木造建物の一つと考えられている。 ==歴史== 曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)は寺の創建を384年(百済枕流王元年)としている〔大韓仏教曹渓宗の25教区本寺の紹介 修徳寺 〕。正史『三国史記』によると、百済に初めて仏教が伝来したのが384年9月である。『三国史記』〔近仇首王之元子 母曰阿尒夫人 繼父卽位 秋七月 遣使入晉朝貢 九月 胡僧摩羅難陁自晉至 王迎之致宮內 禮敬焉 佛法始於此 二年 春二月 創佛寺於漢山 度僧十人 冬十一月 王薨 〕や『三国遺事』〔卞韓 百濟(亦云。南扶餘。即泗泚城也) 〕に修徳寺に関する記述は一切なく、384年創建の根拠は不明である。また百済の智明という僧が599年(恵王元年・法王元年)に創建したという説もある。 現在の伽藍配置は1308年以降に形作られたものである。日本統治時代の1937年から1940年にかけて大雄殿の解体補修が行われたが、その際に発見された墨書に1308年(忠烈王34年)の建立と書かれていた。 李氏朝鮮の時代、太宗による1407年(太宗7年)の仏教弾圧の際、存続を許された88寺院の中に修徳寺という名前はないため、廃寺になったようである。世宗による1424年(世宗6年)の仏教弾圧の際も、存続を許された36寺院の中に名前はなく、引き続き廃寺だったようである(朝鮮の仏教#李氏朝鮮時代の仏教弾圧)。 1865年に宋満空禅師が復興を行い、これにより禅宗の修業場となった。 1970年代になり、一柱門(いっちゅうもん)、鐘楼、金剛門などが建立された〔『韓国古寺巡礼〈百済編〉』 〔ISBN 4140087781〕 P.47,48 - 鎌田茂雄、NHK取材班、大村次郷〕〔『国際教育振興院>忠清南道 』 - 国際教育振興院〕〔『修徳寺 』 - 大韓民国独立記念館〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「修徳寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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