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倉亭の戦い(そうていのたたかい)は中国の後漢の末期、201年に曹操と袁紹の間に起こった戦いである。 == 背景 == 200年、群雄の一人であった曹操は、最大の敵であった袁紹と官渡で戦い、これに大勝した(官渡の戦い)。 『三国志』魏志「武帝紀」によると、翌年の201年に、曹操が黄河のほとりに軍をすすめ、倉亭の袁紹の軍を破ったとある。袁紹は離散させた軍を集め直し、各地の反乱の鎮圧にあたった(魏志「武帝紀」)。袁紹は、反乱の鎮圧に成功したものの、202年に憂悶のうちに死去したとある(魏志「袁紹伝」)。魏志「武帝紀」では、袁紹は敗北の後に発病し血を吐いて死去したとある。 袁紹はこれより前、曹操の後方を撹乱するため、劉備を汝南に派遣していたが、倉亭で勝利し許都に帰還した曹操が劉備を攻撃すると聞いた劉備は荊州の劉表を頼り落ち延び、劉備の同盟者であった龔都の勢力は散り散りとなった(魏志「武帝紀」、蜀志「先主伝」)。 なお、魏志「荀彧伝」では201年に、曹操が兵糧不足を理由に袁紹との決戦を避け、袁紹が敗戦から立ち直らないうちに劉表を討伐しようと荀彧に相談を持ちかけた記録があるが、倉亭の戦いとの前後関係は不明。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「倉亭の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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