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倉富胤厚 : ミニ英和和英辞書
倉富胤厚[くらとみ たねあつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [そう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator
: [とみ]
 【名詞】 1. wealth 2. fortune 
: [たね]
 【名詞】 1. issue 2. offspring 3. paternal blood
: [あつ]
 (suf) thickness

倉富胤厚 : ウィキペディア日本語版
倉富胤厚[くらとみ たねあつ]
倉富 胤厚(くらとみ たねあつ、文政12年3月18日1829年4月21日) - 明治23年(1890年6月30日)は、筑後国久留米藩領出身の儒者政治家。通称は八兵衛、字は士簡、号は篤堂(とくどう)。
== 生涯 ==
文政12年(1829年)、筑後国三潴郡大隈村(現・福岡県久留米市梅満町)の庄屋・園田為右衛門の次男として生まれる。幼名は熊三郎。
はじめ田主丸重富縄山に儒学を学び、16歳で豊後日田咸宜園に入門して広瀬淡窓に学んだ。なお、重富縄山も広瀬淡窓門下である。
18歳のとき、親族である竹野郡徳童村(現・久留米市田主丸町)の庄屋・倉富又市の婿となり、その後を継ぐ。慶応3年(1867年)には藩命を受けて、当時大宰府に滞在していた三条実美ら五卿(七卿落ち参照)の警護にあたっている。明治元年(1868年)、吉井(現・うきは市)の郷校・弘道館で儒学を講じるようになり、明治3年(1870年)には藩校・明善堂福岡県立明善高等学校の前身)の教官に抜擢された。このとき、士族に列している。
明治7年(1874年)、次男の勇三郎とともに上京し、東京英語学校で漢文を教えた。翌明治8年(1875年)帰郷。明治12年(1879年)、福岡県会議員となり、翌13年(1880年)には県会議長となるが、この年議員を辞している。
明治23年(1890年)6月30日没。享年62。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「倉富胤厚」の詳細全文を読む




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