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倉持 明(くらもち あきら、1952年7月20日 - )は、神奈川県横浜市中区出身の元プロ野球選手(投手)。2015年現在は野球解説者。愛称は「クラさん」「ヒゲクラ」。 2男1女の父で、長女は元AKB48メンバーの倉持明日香〔ぴいぷる:倉持明&明日香 父から娘へプロ魂キャッチ! 夕刊フジ2008年9月23日〕。 == 来歴・人物 == 横浜第一商業高等学校(現:横浜商科大学高等学校)では、エース、五番打者として1970年夏の甲子園県予選決勝に進出。東海大相模の投手・上原広一(東海大)と投げ合うが、5-12で敗退。東海大相模は甲子園で優勝する。同年にヤクルトアトムズからドラフト12位指名されるも拒否し、日本鋼管に入社。都市対抗予選で活躍するが、本大会には出場できなかった。 1972年にドラフト4位でロッテオリオンズ入団。1977年に、長谷川一夫とともに、安木祥二、白仁天との交換トレードで、クラウンライターライオンズに移籍し、1979年に、古賀正明とともに、山崎裕之、成重春生との交換トレードでロッテに復帰。1980年に、パシフィック・リーグ最多の18セーブをマークした。なお、この年の最優秀救援投手賞は、13セーブながら救援勝利が6個あった金城基泰(南海)が1P差で受賞した。クローザーの草分け的存在〔投手分業制はこの当時まだ確立されておらず、高校野球と同様に一人の投手が開始から終了まで200球近くを投げ抜くのが当たり前だった。〕で、「9回裏無死満塁、ボールカウント 3ボール0ストライク(=一球仕損じればサヨナラ負け)」という大ピンチの状況から抑えること5度。“炎のストッパー”と評された。 1983年に西井哲夫と交換トレードでヤクルトに移籍し、同年、戦力外通告・引退〔。 現役時代から「アートネイチャー」のCMにも出演しており、「倉持明 29歳 あだ名は『ヒゲクラ』」と紹介されていた。1982年には開幕戦直前に頭髪の薄い者が集まり「倉持選手をハゲます会」という会が発足するほどの人気であった〔ストッパー倉持明、本業は自由契約もCMは契約延長 スポーツニッポン2008年11月29日〕。この年のオフに西井とのトレードによってヤクルトに移ると、アートネイチャー側は「巨人戦との兼ね合いで、今度はテレビの露出も多くなる」と大歓迎するほどだったという。 引退後は河合製薬の営業職やテレビ東京の解説者を経て、、千葉テレビ放送『CTCマリーンズナイター』で解説者を務める〔マリーンズナイター - チバテレ|千葉テレビ放送株式会社〕。野球理論と豊富な知識を兼ね備えた解説が特徴で、敵味方を問わない毒舌解説をしている。また投手出身だけあって、投手の立場で話すスタイルの解説を得意としている。アナウンサーの黒沢幸司は高校の後輩である。 2010年9月7日に神宮球場で開催されたヤクルト対広島第17回戦では、長女の明日香がAKB48の派生ユニット「フレンチ・キス」の一員として試合前に登場。現地で娘の披露したノーバウンドの始球式を見守った。さらに2012年7月18日のDeNA対ヤクルト戦でも娘の始球式を見守った〔明日香の投球はワンバウンドし、打席に入ったDeNA・内村賢介の体に当たった。〕。2013年5月18日のヤクルト対ロッテ戦では、明日香が投げる球を受けるキャッチャーとして、親子での始球式が実現したが、明日香の投じたボールは一塁側に大きくはずれ、2バウンドしてから倉持のミットに収まった〔AKB48倉持明日香、父娘で初始球式! 父「しょーもないボール」に娘「35点」 マイナビニュース2013年5月19日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「倉持明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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