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倉敷城(くらしきじょう)は、かつて岡山県倉敷市本町(備中国窪屋郡倉敷村)にあった日本の城(城郭)である。倉敷山城(くらしきやまじょう)、小野城(おのじょう)、小野ヶ城(おのがじょう)とも呼ばれる〔「倉」は「蔵」、「敷」は「鋪」「子城」などの字が当てられることもある。〕。 ==概要== 鶴形山の南麓にあった小丘(のちに城山、あるいは稲荷山と呼ばれる)にあったとされる城郭であり、伝承によると天慶の藤原純友の乱の頃、征討使として西下した小野好古が拠点として築いたとされ、以降、中世末期まで小野氏の居城となった。小野城の名称はこれに因む〔岡山県大百科事典編集委員会編集『岡山県大百科事典』(1979年)山陽新聞社〕。 建武2年2月26日および28日、福山合戦の前哨戦といえる戦いがあり、小野浄智房が目代として荘・真壁の両氏等足利勢を備中福山城に攻めて敗れた。この時、倉敷城を拠点としていたとされる〔岡山県大百科事典編集委員会編集『岡山県大百科事典』(1979年)山陽新聞社〕。 明応2年、当時の城主小野好信が小野家の氏神として伏見稲荷神社を勧請、城山稲荷神社(城山稲荷大明神)とした〔城山稲荷神社 現地案内板より〕。 江戸時代には倉敷村は大半の時代が江戸幕府領となっており、この頃には倉敷城は廃城となっていた。城のあった小丘(城山)には幕府代官の陣屋が建てられた(倉敷陣屋)。延享3年には、倉敷陣屋が廃止され、倉敷城・陣屋のあった城山の南側に丘を取り込む形で倉敷代官所が建設され、倉敷代官による一帯の幕府領の支配の拠点となった〔下中直也 『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』(1981年)平凡社〕。 なお、元倉敷城主の小野氏は、江戸期には倉敷村の庄屋を務めた。 版籍奉還後、廃藩置県により慶応4年に倉敷代官所は倉敷県庁となったのち、明治20年に倉敷紡績の事業所用地となり、翌年に倉敷城・陣屋のあった城山は切り崩されて平坦地となり、その遺構は消失した〔下中直也 『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』(1981年)平凡社〕。城山稲荷神社は、向市場町(倉敷川畔付近)へ遷座した。 現在は同地は倉敷アイビースクエアとなっているが、その城郭・陣屋の遺構は確認できなく、代官所の遺構もわずかに残るのみである〔下中直也 『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』(1981年)平凡社〕。なお、城山稲荷神社は現在、再移転され、アイビースクエア東側の土地に鎮座している。神社名も城山稲荷を残しており、唯一の倉敷城・城山の名残となっている〔城山稲荷神社 現地案内板より〕。また、城山稲荷には白狐の化け物伝承がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「倉敷城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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