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倉貫 一毅(くらぬき かずき、1978年11月10日 - )は、滋賀県大津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。 == 来歴 == 滋賀県大津市立南郷中学校卒業。中学時代は地元の強豪クラブ・セゾンFCでプレーしていた。静岡学園卒業後、1997年にジュビロ磐田に入団したが、磐田在籍中の公式戦の出場は無かった。 出場機会を求め2000年ヴァンフォーレ甲府に移籍するも、リーグ戦25連敗(引き分け含め)を喫するなど成績は低迷中で、観客動員も伸びず2000年末にはクラブが存続危機に陥いるなど、甲府に移籍してからは苦闘も多かったが、挫けずキャプテンとしてチームを牽引し続け、2005年に見事悲願のJ1昇格を成し遂げた。 2006年4月30日の古巣・磐田戦で左膝前十字靱帯損傷で全治約6か月の重傷を負ったが、同年12月9日の天皇杯5回戦・川崎戦で先発出場し、戦列復帰を果たした。しかしそのシーズンオフに京都サンガF.C.へ移籍。チームを支えるキャプテンの移籍はサポーターの間で物議を醸したが、決して甲府側の待遇に不満を持っていた訳ではなく、家族や将来のことを考えた上で実家に近い京都でのプレーを選んだと本人はコメントを残している。 2007年は京都のJ1昇格を果たすのに多大な貢献をしたが、翌2008年のJ1での戦いに向けて京都が大幅に戦力を補強したこともあり、倉貫は出場機会を失った。2008年6月11日付で出場機会を求め、京都との契約を解除し、6月23日にJ2徳島ヴォルティスへの完全移籍が発表。徳島への合流直後から試合に出場し、J2で苦戦が続いていたチームを牽引し続けていた。チームに合流してからの初勝利は2008年9月27日の四国ダービー。 2009年シーズンはキャプテンとして、京都時代以来のJ1昇格に向かって奮闘した。 2012年より、古巣・京都へ完全移籍で復帰をはたした。2013年シーズン終了後、契約満了により退団。 2014年、ガイナーレ鳥取へ移籍。2015年1月、契約満了により退団した。 2015年2月、現役引退と、徳島ヴォルティスのホームタウン推進部普及コーチ就任が発表された。 坂本紘司とは、セゾン、静学、磐田でのチームメイトであり、現在でも親交は厚い。試合後には「紘司には顔では負けるがプレーで勝ちたい」とコメントしている(2007年第2ターム対戦にて)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「倉貫一毅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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