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倭仁 : ミニ英和和英辞書
倭仁[わじん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [わ, やまと]
 (n) ancient Japan
: [にん, じん]
 (n) kernel

倭仁 : ウィキペディア日本語版
倭仁[わじん]
倭仁(わじん、 転写:Wesin、''Woren''、1804年 - 1871年)、字は艮峰末の保守派官僚。
==生涯==
蒙古正黄旗人。烏斎格里氏。1829年進士となり、庶吉士に選ばれ、編修となった。その後、中允、侍講、侍読、庶子、侍講学士、侍読学士、詹事、大理寺卿を歴任した。1871年文華殿大学士になった。死後、太保と文端の諡号を贈られ、賢良祠に祀られた。
1867年、五品以下の京外官を選抜して、同文館天文学数学を西洋人の教師に学ばせることとなった。倭仁はこれに反対して「立国の道は礼義であり、権謀ではない。根本の途は人心であって、技芸ではない」と述べた。さらに外国人の教師が誠心誠意人材を育成するか疑問を持ち、夷人を師とする洋務運動に強硬に反対した。
また倭仁は宋明理学の学者として知られ、李棠階曽国藩などの理学家と親しく交わった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「倭仁」の詳細全文を読む




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