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倭人(わじん)とは、 #狭義には中国の人々が名付けた、日本人(当時、日本列島に住んでいた民族または住民)の古い呼称。 #広義には中国の歴史書に記述された、中国大陸から朝鮮半島、日本列島の範囲の主に海上において活動していた民族集団。 一般に2.の集団の一部が日本列島に定着して弥生人となり〔澤田洋太郎『日本語形成の謎に迫る』(新泉社、1999年)〕、「倭人」の語が1.を指すようになったものと考えられている。 本項では、中国や朝鮮における派生的な蔑称についても扱う。 == 概要 == 古くは戦国から秦漢期にかけて成立した『山海経』に、東方の海中に「黒歯国」とその北に扶桑国があると記され、倭人を指すとする説もある。また後漢代の1世紀ころに書かれた『論衡』に「倭」「倭人」についての記述がみられる。しかし、これらがの記載と日本列島住民との関わりは不明である。また『論語』にも「九夷」があり、これを倭人の住む国とする説もある。 倭人についての確実な初出は75年から88年にかけて書かれた『漢書』地理志である。その後、280年から297年にかけて陳寿によって完成された『三国志』「魏書東夷伝倭人条」いわゆる『魏志倭人伝』では、倭人の生活習慣や社会の様態が比較的詳細に叙述され、生活様式や風俗・慣習・言語などの文化的共通性によって、「韓人」や「濊人」とは区別されたものとして書かれている。 5世紀南北朝時代の南朝宋の時代の432年(元嘉9年)に范曄が書いた『後漢書』列伝巻85(東夷列伝)には1世紀中葉の記述として「倭の奴国」「倭国の極南界」、2世紀初頭の記述として「倭国王帥升」「倭国大乱」とあり、小国分立の状態はつづきながらも、政治的には「倭国」と総称されるほどのまとまりを有していたことが知られる。また南朝の史書には沈約(441年 - 513年)によって書かれた『宋書』倭国伝には倭の五王について書かれている。 656年(顕慶元年)に完成した『隋書』東夷伝には「九夷」「倭奴国」という記載がある。 945年に書かれた『旧唐書』、1060年に書かれた『新唐書』にも倭人に関する記述がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「倭人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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