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倭姫王(やまとひめのおおきみ、生没年不詳)は、飛鳥時代の皇族。舒明天皇の第一皇子・古人大兄皇子の娘。母は未詳。天智天皇の皇后。子女は無し。 大化元年9月12日(645年10月7日)〔ここでは、吉備笠垂(きびのかさのしだる)の密告日(9月12日)の内に、中大兄が討伐命令を出し、古人大兄が死亡した場合の日付を採用している。日本書紀には、11月30日の事として中大兄が討伐を命じ、古人大兄を殺させたむね記した「ある本」一書が引用されている。 - 「巻第二十五 孝徳天皇 古人大兄の死」 『日本書紀(下)全現代語訳』 宇治谷 孟訳(講談社学術文庫)1988年、164頁〕 、父・古人大兄皇子が謀叛の疑いで中大兄皇子(後の天智天皇)に攻め殺される。天智天皇7年2月23日(668年4月10日)、中大兄皇子が天皇に即位したことにより大后となる。 天智天皇が病に倒れた際、大海人皇子(後の天武天皇)は「倭姫王が即位し、大友皇子が太政大臣として摂政を執るべき」むね進言した〔「巻第二十七 天智天皇 天智天皇崩御」 『日本書紀(下)全現代語訳』 宇治谷 孟訳(講談社学術文庫)1988年、239頁〕。また、天智天皇崩御後に倭姫王の即位または称制があったとする説もある。 天智天皇の危篤・崩御の際に詠んだ歌4首が『万葉集』に収められている。 == 関連項目 == * 大友皇子即位説 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「倭姫王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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