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ヤマトタケル(生年不詳 - 景行天皇43年)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族(王族)。 『日本書紀』では主に「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、『古事記』では主に「倭建命(やまとたけるのみこと)」と表記される。現在では、漢字表記の場合に一般には「日本武尊」の用字が通用される〔宮内庁治定墓(能褒野墓・大和白鳥陵・河内白鳥陵)での公式表記、および『国史大辞典』(吉川弘文館)の項目名、『日本古代氏族人名辞典』(吉川弘文館)の項目名、『日本人名大辞典』(講談社)の項目名において、「日本武尊」の用字が採用される。〕。 第12代景行天皇皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたる。熊襲征討・東国征討を行なったとされる、日本古代史上の伝説的英雄である。 == 名称 == 『日本書紀』・『古事記』・『先代旧事本紀』とも、本の名は「ヲウス(オウス)」、亦の名は「ヤマトヲグナ(ヤマトオグナ)」で、のちに「ヤマトタケル」を称したとする。それぞれ表記は次の通り〔『新編日本古典文学全集 2 日本書紀 (1)』小学館、2002年(ジャパンナレッジ版)、pp. 340-397。〕〔『新編日本古典文学全集 1 古事記』小学館、2004年(ジャパンナレッジ版)、pp. 212-239。〕。 * 『日本書紀』・『先代旧事本紀』 * 本の名:小碓尊(おうすのみこと)、小碓王(おうすのみこ) * 亦の名:日本童男(やまとおぐな) * のちの名:日本武尊(やまとたけるのみこと)、日本武皇子(やまとたけるのみこ) * 『古事記』 * 本の名:小碓命(おうすのみこと) * 亦の名:倭男具那命(やまとおぐなのみこと)、倭男具那王(やまとおぐなのみこ) * のちの名:倭建命(やまとたけるのみこと)、倭建御子(やまとたけるのみこ) 「ヲウス(小碓)」の名称について『日本書紀』では、双子(大碓命・小碓尊)として生まれた際に、天皇が怪しんで臼(うす)に向かって叫んだことによるとする〔。「ヲグナ(童男/男具那)」は未婚の男子の意味〔。「ヤマトタケル」の名称は、川上梟帥(または熊曾建)の征討時に捧げられた(後述)。「尊」の用字は皇位継承者と目される人物に使用されるもので、『日本書紀』での表記は同書上でヤマトタケルがそのように位置づけられたことによる〔。 その他の文献で見える表記は次の通り。 * 倭武命 - 『日本三代実録』〔『日本三代実録』貞観3年(861年)11月11日条。〕 * 倭武尊 - 『古語拾遺』 * 倭建尊 - 『新撰姓氏録』〔『新撰姓氏録』和泉国皇別 和気公条、和泉国皇別 聟本条。〕 * 日本武命 - 『尾張国風土記』逸文〔『釈日本紀』巻7 草薙劔条所引『尾張国風土記』逸文。〕、『古語拾遺』 * 倭武天皇 - 『常陸国風土記』〔『常陸国風土記』序文、信太郡条、茨城郡条、行方郡条、香島郡条、久慈郡条。〕 * 倭建天皇 - 『常陸国風土記』〔『常陸国風土記』久慈郡条、多珂郡条。〕 * 倭健天皇命 - 『阿波国風土記』逸文〔『万葉集註釈』巻7所引『阿波国風土記』逸文。〕 なお、「武」・「建」の訓については「タケル」ではなく「タケ」とする説がある〔。その中で、「タケル」は野蛮を表現する語であり、尊号に用いられる言葉ではないと指摘される〔中村啓信 『新版古事記』角川学芸出版[角川ソフィア文庫]、2009年、ISBN 978-4-04-400104-9。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヤマトタケル」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yamato Takeru 」があります。 スポンサード リンク
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