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偕楽園(かいらくえん)は、日本の茨城県水戸市にある日本庭園である。国の史跡及び名勝に指定されており(指定名称は「常磐公園」)、隣接する千波湖周辺の拡張部を含めた「偕楽園公園」は、都市公園としてニューヨークのセントラルパークに次ぎ世界第2位の面積を持つ〔水戸市、2014年3月閲覧。 〕〔観光茨城、2014年3月閲覧。 〕〔茨城県立歴史観、2014年3月閲覧。 〕〔常磐神社社務所、2014年3月閲覧。 〕〔水戸観光協会、2014年3月閲覧。 〕。また伝統的に、岡山市の後楽園や金沢市の兼六園と並んで日本三名園の一つに数えられてきた。現在、茨城県営の都市公園(広域公園)として管理・運営されている〔茨城県県営都市公園一覧 〕。 文化庁認定日本遺産"近世日本の教育遺産 ―学ぶ心・礼節の本源―"のストーリーを構成する水戸市内の文化財の一つでもある。。 ==概説== 偕楽園には、拡張部を含めない本園部分だけで100種3000本のウメ(梅)が植えられている。園内には梅の異名「好文木」に由来する別荘好文亭〔現在、偕楽園と川を挟んで相対する水戸市白雲岡の地に徳川斉昭は最初に園を造ろうとしたが、狭かったため梅園の代わりに数百本の桜樹を植え、休息所としてもうひとつ一遊亭を建てた。この故事は水戸市の地名桜山の由来となり、2014年現在一遊亭跡が残っている。〕があるが、晋の武帝が学問に親しむと花が開き、学問をやめると花が開かなかったという故事に基づいている。弘道館は偕楽園と一対の施設であり、同じく梅の名所である。 水戸藩第9代藩主徳川斉昭(烈公)は、1833年(天保4年)藩内一巡後、水戸の千波湖に臨む七面山を切り開き、回遊式庭園とする構想を持った。同じく彼の設立した藩校弘道館で文武を学ぶ藩士の余暇休養の場へ供すると同時に、領民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと、この巨大な大名庭園は斉昭自らにより「偕楽園」と名づけられた。偕楽とは中国古典である『孟子』の「古の人は民と偕に楽しむ、故に能く楽しむなり」という一節から援用したもので、斉昭の揮毫『偕楽園記』では「是れ余が衆と楽しみを同じくするの意なり」と述べられている〔偕楽園記、2014年3月閲覧。 〕。水戸学へ帰着する斉昭の愛民精神によりこの庭園は、江戸時代当初から毎月「三」と「八」が付く日には領民にも開放されていた〔武士以外の者の入園について、初め神官、修験、僧侶など宗教関係者に限られていたが、次第に庶民一般にも及んだ。また、他国の者の入園は許可されていなかった。偕楽園、2014年3月閲覧。 〕。伝統を受け継ぎ、いまなお偕楽園は日本三名園のうちで唯一、入園無料である(ただし、前述の好文亭を利用する場合は有料)。 偕楽園では毎年2月下旬から3月下旬に、水戸の梅まつりが開催される。水戸の梅まつりは、2016年時点で120回開催された。開催期間中には多数の観光客で賑わい、キャンドルライトを使って梅をライトアップする夜梅祭や茶会など、種々様々な催し物が行われる。また園内で4月には水戸の桜まつり、5月には水戸のつつじまつり、9月には水戸の萩まつりが行われる。偕楽園公園を含め8月には水戸黄門まつりが行われる。関連の観光大使として茨城県水戸市により水戸の梅大使が毎年選出されている。 広さは偕楽園部単体で約58haうち本園が約13haあったが、茨城県は平成11年(1999年)7月、隣接する千波湖を含む千波公園及び緑地帯とあわせて園の名称を「偕楽園公園」とする構想を発表、面積の合計を300haに拡張した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「偕楽園」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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