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儀礼的無関心(ぎれいてきむかんしん,civil inattention)とは、同じ社会的状況に単に居合わせているだけの人々の間で行われる礼儀正しい振る舞い方の1つ〔『集まりの構造』 pp.93-99〕。 ==概要== 「焦点の定まった相互作用」〔『集まりの構造』 p.93.〕を持たない者同士がある場所に単に居合わせる場合〔『集まりの構造』 p.93. 「人びとが単に同じ社会的状況に居合わせるというだけで生じるコミュニケーションの問題」。〕、人は、相手をあからさまにじろじろ見たり、「憎しみの凝視」〔『集まりの構造』 p.94. 本書は、1950-1960年代アメリカの南部で、通りすがりに白人が黒人に向けた視線を例に挙げる。〕を投げかけたり、まるでそこに人間が居ないかのように、石ころであるかのように無視することがある〔『集まりの構造』 pp.93-94.〕。しかし、これは無礼な振る舞いであり〔『集まりの構造』 pp.93-94.〕、また、凝視の対象になることは、人にとって大変な苦しみである〔『集まりの構造』 p.98.〕。〔『ゴフマン世界の再構成』 pp.158, 159, 182. そのような無礼や視線は、生物学的な体や法的な人格を傷つけるものではない。しかし、人としての大事な部分を傷つける。その部分を薄井明は「市民的自己」と呼び、ゴッフマンは「人格」と呼んだ。〕〔『ゴフマン世界の再構成』 p.160. 「エチケットの支配によって肉体的暴力から解放されたわれわれは、かわりにエチケットに由来する傷つきやすさ・毀れやすさを抱え込んでいるといえる」(※下線部分は原文は傍点)。〕 「焦点の定まった相互作用」を持たない者同士が単に居合わせる場合に人々がどのように振る舞うかは、社会階級や民族、年齢など、その者が持つ文化や、時代によって異なっている〔『集まりの構造』 pp.96, 95.〕。 1950年代から1960年代〔『集まりの構造』 p.315 原著は1963年の本。p.316 原著の元になった論文は1953年。〕のアメリカのミドル・クラス社会〔『集まりの構造』 p.5.〕の礼儀作法に適った振る舞いは、そのような場合、「相手をちらっと見ることは見るが、その時の表情は相手の存在を認識したことを(そして認識したことをはっきりと認めたことを)表す程度にとどめる」「そして、次の瞬間にすぐに視線をそらし、相手に対して特別の好奇心や特別の意図がないことを示す」〔『集まりの構造』 p.94.〕ように振る舞うことである。このような振る舞い方を、資料収集と参与観察によって研究を進めた〔『集まりの構造』 pp.315-318.〕アメリカの社会学者アーヴィング・ゴッフマンは、「儀礼的無関心」と呼んだ〔『集まりの構造』 pp.93-99〕〔『ゴフマン世界の再構成』 p.159. 共在のなかに居るとき、互いの私的領域を保護するために、視線の衝突を回避する振る舞い方のこと。〕。 儀礼的無関心違反の「一番わかりやすい例は、相手が自分を見ていないのをよいことに相手を観察していると、とつぜん相手の視線が自分に向けられ、自分が無礼にも相手を見ていたことがわかってしまう時」〔『集まりの構造』 p.97.〕である。 もともとは物理的な公共空間でのマナーについての概念であるが、Webサイト間の無断リンクの是非の論争の一環として、インターネット上でも儀礼的無関心が求められるべきではないのかということが議論されることがある〔無断リンク#無断リンクの是非についての論争を参照。〕。これに付随して、批評家・社会学者の濱野智史はインターネット上のWebサービスのアーキテクチャに儀礼的無関心と関連したデザインのものがあることを指摘しており、例えば電子掲示板2ちゃんねるでの直接リンクを回避するシステムが儀礼的無関心を支援するものになっていたり、SNSのひとつであるmixiにおける「足あと」機能(訪問履歴が強制的に記録される機能で、現在は廃止されている)は「儀礼的無関心」を「強制的関心」に変換する(形跡を残さずに閲覧だけすることを許さない)ものになっているといえる〔濱野智史 『アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか』 エヌ・ティ・ティ出版、2008年、132-134頁。ISBN 978-4757102453。〕。 このほか、社会学者の北田暁大は、学術論文で他者の研究成果を引用する場合に関して儀礼的無関心ならぬ「儀礼的関心」といった態度がみられることを論じている〔参照 (書誌学)#学術論文の参照・引用を参照。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「儀礼的無関心」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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