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允恭地震(いんぎょうじしん)は、『日本書紀』に記された記録の残る日本最古の歴史地震。 == 地震の記録 == 『日本書紀』允恭天皇5年7月14日(ユリウス暦416年8月22日、グレゴリオ暦8月23日)の条項に「地震(なゐふる)」の記述が登場する。 允恭天皇は先に玉田宿禰に反正天皇の殯を命じていたが、地震があった日の夜に尾張連吾襲に殯宮の様子を探らせたところ玉田宿禰だけがいなかった。玉田宿禰はこの時酒宴を開いており、尾張連吾襲を殺して武内宿禰の墓地に隠れた。允恭天皇が玉田宿禰を呼び出したところ衣の下に鎧を付けて参上したため捕えて殺したという〔寒川旭 『地震の日本史』 中公新書、2007年〕。このようにこの地震の記事は政治的事件の発端として記されており、地震そのものの状況や被害の様子は記されていない。また西暦506年以前は日本暦が明らかでないため厳密に西暦には換算できず、西暦換算が416年であるかも疑わしいとの見方もある〔閲覧検索画面 地震・噴火史料データベース(β版)〕。 * 『日本書紀』巻第十三 『熊野年代記』にも諸国で大地震であったと記され〔宇佐美龍夫 『日本の歴史地震史料 拾遺 二』 東京大学地震研究所編、1993年〕、『豊浜町誌』にも讃岐国で地震があったことが記されているが、これらは『日本書紀』よりも遥か後世に記されたものであり出典や詳細は不明である。 * 『熊野年代記』 * 『豊浜町誌』 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「允恭地震」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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