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元思誉 : ミニ英和和英辞書
元思誉[もとおもえほまれ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 

元思誉 : ウィキペディア日本語版
元思誉[もとおもえほまれ]
元思誉(元思譽、げん しよ、生年不詳 - 507年頃)は、中国北魏皇族。楽陵密王。もとの名は永全〔正史の記述による。墓誌によると、諱は思、字は永全とする。〕。
== 経歴 ==
汝陰王拓跋天賜の次男として生まれた。叔父の拓跋胡児の後を嗣ぎ、楽陵王に封じられた。後に思誉と改名した〔脚注1を参照のこと。〕。孝文帝の初年、柔然の侵攻を受けると、思誉は鎮北大将軍・北征大都将となって防戦を指揮した。後に使持節・鎮北大将軍・領護匈奴校尉・都督・中軍都将に任じられた。使持節・鎮東大将軍・和龍鎮都大将・営州刺史として出向し、領護東夷校尉を加えられた。鎮北将軍に転じ、鎮北大将軍を代行した。孝文帝に光極堂で引見を受けると、皇帝を補佐するよう命じられた。496年太和20年)、穆泰らとともに陽平王元頤を帝位につける陰謀をたくらみ、発覚して官爵を削られて庶人とされた。499年(太和23年)、楽陵王の封をもどされた。507年正始4年)〔正史の記述による。墓誌によると、正始3年(506年)の5月12日に死去した。享年は40。ただしこの享年を信じると467年生まれとなり、子の元景略が470年生まれと考えられる点と抵触する。〕、死去した。光州刺史の位を追贈された。は密王といった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「元思誉」の詳細全文を読む




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