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元思誉[もとおもえほまれ]
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・ 元 : [げん, もと, がん] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former
元思誉[もとおもえほまれ] 元思誉(元思譽、げん しよ、生年不詳 - 507年頃)は、中国の北魏の皇族。楽陵密王。もとの名は永全〔正史の記述による。墓誌によると、諱は思、字は永全とする。〕。 == 経歴 == 汝陰王拓跋天賜の次男として生まれた。叔父の拓跋胡児の後を嗣ぎ、楽陵王に封じられた。後に思誉と改名した〔脚注1を参照のこと。〕。孝文帝の初年、柔然の侵攻を受けると、思誉は鎮北大将軍・北征大都将となって防戦を指揮した。後に使持節・鎮北大将軍・領護匈奴校尉・都督・中軍都将に任じられた。使持節・鎮東大将軍・和龍鎮都大将・営州刺史として出向し、領護東夷校尉を加えられた。鎮北将軍に転じ、鎮北大将軍を代行した。孝文帝に光極堂で引見を受けると、皇帝を補佐するよう命じられた。496年(太和20年)、穆泰らとともに陽平王元頤を帝位につける陰謀をたくらみ、発覚して官爵を削られて庶人とされた。499年(太和23年)、楽陵王の封をもどされた。507年(正始4年)〔正史の記述による。墓誌によると、正始3年(506年)の5月12日に死去した。享年は40。ただしこの享年を信じると467年生まれとなり、子の元景略が470年生まれと考えられる点と抵触する。〕、死去した。光州刺史の位を追贈された。諡は密王といった。
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