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元田 直(もとだ なおし、1835年(天保6年)〔『大分県人士録』では天保5年生まれ〕-1916年(大正5年)4月4日)は日本の法学者、法律家、教育者。東京代言人組合会長、東京府師範学校校長、東京法学社(現・法政大学)の創立者の一人。 == 略歴・人物 == 1835年(天保6年)、豊後国杵築藩(現在の大分県杵築市)に儒学者元田竹渓の長男として生まれる。維新の際に、藩主に従って京都に上り、参議広沢真臣に知遇を得て内国局書記に任ぜられる〔 『大分県人士録』〕。度会府判事に就任し、度会府廃止後に太政官に入り、太政官記録取調掛に任ぜられ、箕作麟祥とともにフランス民法を審議する〔kotobank-元田直とは 〕。 1874年(明治7年)に東京神田に法学塾の「法律学舎」を開設し、フランス法を講授する。この法律学舎が日本における法律学校のはじめとされている。〔 学制百年史-三 専門学校の創設 〕 1880年(明治13年)、同郷の金丸鉄、薩埵正邦、元田の下にいた伊藤修らが東京法学社を創立する際にその助力をし、法政大学の創立者の一人として数えられている。〔東京法学社の設立とその創立者たち 〕 1880年(明治13年)に東京代言人組合の初代会長となり、長崎上等裁判所判事などを経て、文部大臣森有礼の懇請により東京府学務課長兼東京府師範学校長に就任し、義務教育の普及発展に貢献する〔。 1916年(大正5年)4月4日に死去、82歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「元田直」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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