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元鍛冶丁(もとかじちょう)は、江戸時代の仙台城下町から用いられている町名および道の名称。仙台市都心部の定禅寺通りと広瀬通りの間を東西に並走し、主に歓楽街である国分町を貫く。 == 元鍛冶丁 == 伊達政宗が仙台城下町を開府した際に鍛冶職人を配置した町人町で、本材木町を西端()、国分町(奥州街道)を東端()とし、両端は丁字路で終わっていた〔城下絵図 (宮城県図書館。年代:推定1664年(寛文4年))〕〔仙台城下絵図 (宮城県図書館。年代:推定1669年(寛文9年))〕〔仙台城下絵図 (宮城県図書館。年代:推定1678年(延宝6年)- 1680年(延宝8年))〕〔御城下町割絵図 (宮城県図書館。年代:推定1833年(天保4年))〕。 間も無く当地の鍛冶職人たちは、城下の南北に北鍛冶町と南鍛冶町とに分けられて移された。その後、跡地には武家屋敷が設けられて侍町へと変わった。 明治維新で四民平等が謳われて身分によらない混住が進むと、国道(奥州街道→陸羽街道→国道6号→国道4号)に直接繋がる立地から病院・商業・業務が立地するようになった。また、細横丁を境に、仙台城(広瀬川)に近い方の西側を一丁目、遠い方の東側を二丁目とした。 1945年(昭和20年)7月10日の仙台空襲で被災。戦後復興期の1947年(昭和22年)2月より戦災復興土地区画整理事業が施行され〔仙台市の土地区画整理事業のあゆみ (仙台市)〕、一丁目と二丁目を分けていた細横丁が晩翠通として拡幅された〔(1)青葉通の誕生 (仙台市。文書中の地図に新道が示されている)〕。また、丁字路で終わっていた当通の両端は、双方とも直線的に延長された〔。 1970年(昭和45年)2月1日に住居表示が施行され、道路名を沿道の町名にも用いる方式から、道路に囲まれたブロックごとに町名を付ける街区方式に変更になるが、一丁目は立町に、二丁目は国分町2丁目に組み込まれた〔中央(昭45) (仙台市「仙台市の住居表示実施状況 」 2.実施地区名一覧《実施年降順》)〕〔歴史的町名復活検討委員会報告 資料 (仙台市「歴史的町名復活検討委員会 」)〕。 1970年代に「国分町」が東北地方最大の歓楽街として成長すると、元鍛冶丁も歓楽街「国分町」の一部に組み込まれ、ディスコがいくつか出来た。現在では飲み屋が連なっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「元鍛冶丁」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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