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児玉・後藤政治(こだま・ごとうせいじ)とは、日本統治下の台湾における台湾総督児玉源太郎(1898年(明治31年)2月26日から1906年(明治39年)まで在任)と民政長官後藤新平(1898年(明治31年)3月2日から1906年(明治39年)まで在任)によりとられた一連の政策を指す。 == 背景 == 日本統治下の台湾の歴史について記述するとき、「○○総督時代」という区分がよく使われる。しかし、第4代台湾総督児玉源太郎の時代は「児玉総督時代」ではなく、「児玉・後藤政治」という言葉が使われる。たとえば、日本統治下の台湾に関する古典的名著である矢内原忠雄著「帝国主義下の台湾」においても、「児玉・後藤政治」という言葉が7回使われている〔矢内原忠雄「帝国主義下の台湾」岩波書店(1988年)索引より〕。このように総督名と長官名を併記する理由は、児玉が、歴代台湾総督のうち、唯一日本国内の軍政の要職を同時に兼任した総督であったからである。彼は、8年の任期中に陸軍大臣、内務大臣や陸軍参謀総長次長等を兼任した。そのため台湾には不在がちであった。このため台湾総督としての実務は、民政長官の後藤新平によって行われ、後藤が有実無名の総督となったのである〔「台湾史小事典」刊行/中国書店(福岡)2007年 監修/呉密察・日本語版編訳/横澤泰夫 149ページ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「児玉・後藤政治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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