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児玉 広志(こだま ひろし、1969年5月31日 - 2015年8月5日)は香川県小豆島出身の競輪選手である。日本競輪学校第66期卒業。日本競輪選手会香川支部所属。初出走は1990年8月9日、西武園競輪場。初勝利も同レース。 == 人物 == 高松第一高等学校在学中から自転車競技を始め、卒業後に日本競輪学校へ入学。デビューから2年後に競輪祭新人王戦を優勝して注目を集めるようになり、1996年にオールスター競輪を優勝するとトップ選手としての地位を確固たるものにした。 身長166cmという小柄な体格と、当時選手層の薄かった四国地区所属の選手だったため、しばしば他地区のラインへ切り込む等のライン戦法を無視した競走を行っていたが、ラインに関係なく立ち回る戦法は、現世代の選手たちに大きな影響を与えている。 全盛期にはその戦法で特別競輪において活躍を続けタイトルを量産、2000年にはオールスター競輪とKEIRINグランプリ2000を優勝していて、5期上の神山雄一郎らを抑えて競輪界の頂点にまで上り詰め、両方のレースともゴールした後に自転車から降りてバンク上を飛び跳ねて喜んでいたことは今も語り草となっている。 2015年8月5日午後6時頃、香川県小豆島の自宅の風呂場で、顔面が漬かった状態でいるところを知人が発見。2時間後に病院で死亡が確認された。香川県警は、事件性は薄く、自殺とみている〔競輪王自殺 00年賞金王・児玉広志選手、ストーカー逮捕から1カ月 スポーツニッポン 2015年8月7日閲覧〕。46歳没。通算成績は1625出走319勝優勝回数54回。 なお、JKAから公示された引退日は死去2日後の8月7日である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「児玉広志」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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