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児玉 恕忠(こだま じょちゅう、1849年8月22日(嘉永2年7月5日) - 1923年(大正12年)11月29日〔『日本陸軍将官辞典』306頁。〕)は、幕末の長州藩士、明治期の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧名・粟屋次郎作〔『増補 近世防長人名辞典』113頁。〕。「如忠」と表記される場合がある〔。 == 経歴 == 長州藩士・粟屋三右衛門の二男として生まれる〔『明治人名辞典』下巻、コ八頁。〕。戊辰戦争において東北などに出征した〔。 明治維新後、陸軍に仕官し、1871年9月28日(明治4年8月14日)、陸軍少尉に任官〔『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』38頁。〕。1884年、児玉少介の養子となる〔「歩兵大尉粟屋如忠山口県士族児玉少介方ヘ養子ノ件」〕。 1896年10月、歩兵第23連隊長に就任〔。1898年2月2日、歩兵大佐に昇進し、同年3月、近衛歩兵第2連隊長に転じた〔。1903年7月2日、陸軍少将に進み歩兵第17旅団長に就任〔〔。 日露戦争に出征して、遼陽会戦、沙河会戦、奉天会戦に従軍し、激戦を戦いぬいた〔。1907年7月15日、陸軍中将に昇進と同時に後備役に編入された〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「児玉恕忠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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