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児玉 少介(こだま しょうすけ、1836年(天保7年10月)- 1905年(明治38年)11月14日〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』123頁。〕)は、幕末の長州藩士、明治期の官僚・政治家。元老院議官、貴族院勅選議員。名・真咸、字・士常〔。通称・吉太郎〔、少輔〔『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』501-507頁。〕。号・奎海〔。 ==経歴== 長州藩士・児玉惣兵衛真敏、政夫妻の長男として生まれる〔〔〔『幕末維新大人名事典』上巻、527頁。〕。藩校・明倫館で学び、その後諸国で修行〔。文久3年、孝明天皇の石清水八幡宮行幸に供奉する長州藩世子・毛利定広に随行した〔〔。下関戦争では癸亥丸に乗組み従軍し、その後、国事に奔走した〔〔。 明治維新後、新政府に出仕し、明治5年1月(1872年)京都府十等出仕となる〔。以後、奈良県十一等出仕、正院印刷局書史課長、大蔵省紙幣大属、内務省図書大属・庶務課長、工部省雇、太政官御用掛、参事院法制部勤務、太政官修史館第五局勤務、工部少書記官、工部省総務局記録課長、内閣臨時建築局庶務部長、同書記部長などを歴任〔。 1890年6月12日、元老院議官に就任。同年10月20日、元老院が廃止され議官を非職となり〔、1893年6月21日、依願免本官〔『官報』第2993号、明治26年6月22日。〕(諭旨免官〔「非職元老院議官児玉少介依願本官被免ノ件」〕)となった。1896年9月11日、貴族院議員に勅選され〔『官報』第3964号、明治29年9月12日。〕、死去するまで在任した〔。 その他、大阪商船監査役、入山採炭監査役などを務めた〔『明治過去帳』新訂初版、963頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「児玉少介」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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