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入来祐作 : ミニ英和和英辞書
入来祐作[いりき ゆうさく]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [にゅう]
 【名詞】 1. go in 
入来 : [にゅうらい, いりき]
  1. (n,vs) august visit 2. arrival
: [らい]
 【名詞】 1. since (last month) 2. for (10 days) 3. next (year) 
: [さく]
  1. (n,n-suf) a work 2. a harvest 

入来祐作 : ウィキペディア日本語版
入来祐作[いりき ゆうさく]

入来 祐作(いりき ゆうさく、1972年8月13日 - )は、元プロ野球選手投手)。2015年より福岡ソフトバンクホークスの三軍投手コーチ、2016年からは二軍投手コーチを務める。
兄は元プロ野球選手の入来智。弟・博之も元野球選手で、TDK硬式野球部に所属していた。
== 来歴・人物 ==

=== プロ入り前 ===
宮崎県都城市の出身で、実父は元自衛官。小学校2年生の時に、兄・智が所属していた少年野球チーム「五十市タイガース」で野球を始めた〔著書『用具係 入来祐作』第2章第1節「野球なんてやりたくなかった!? - 泣き虫少年が野球にハマるまで」〕。
中学進学後に野球部へ所属してからは、投手として完全試合を2,3回、ノーヒットノーランを6回記録。3年生の時には、全国26の高校から進学の誘いを受けるほど注目された。しかし、夏季休暇中に、兄・智が所属していた三菱自動車水島硬式野球部(現在の三菱自動車倉敷オーシャンズ)の練習へ参加。智の勧めで紅白戦に登板したところ、1イニングを三者凡退に抑えた。この光景を井元俊秀(当時はPL学園高等学校硬式野球部スカウト、元・同部監督)が見ていたことから、同部のセレクションを受験。セレクションでの合格を経て、同校へ進学した〔。
PL学園高校時代には、中村順司監督の下で、宮本慎也などと共にプレー。3年生の時には、寺前正雄北陽高等学校)・宮田正直(上宮高等学校)・後藤章浩(近畿大学附属高等学校)と共に、「大阪のピッチャー四天王」と称された。ただし、在学中には春・夏とも、甲子園球場での全国大会出場を果たせなかった〔『用具係 入来祐作』第2章第2節「甲子園には縁がなかったが、野球人としての基礎を学んだ - PL学園時代」〕。
井元の勧めで亜細亜大学に進学後は、1年生から硬式野球部のエースとして活躍。同級生に沖原佳典、1年後輩に養父鉄がいた。在学中には、東都大学1部リーグの公式戦で、通算54試合登板、23勝21敗、防御率3.22、234奪三振を記録。一時はプロ野球ドラフト会議の上位指名候補に挙げられたが、4年生(1994年)の秋に右肩の血行障害が生じたことから評価が急変。同年のドラフト会議でどの球団からも指名されなかったため、右肩の手術を経て、卒業後に本田技研へ入社した〔『用具係 入来祐作』第2章第3節「東都大学リーグでの活躍、そして右肩の血行障害 - 亜細亜大学時代」〕。
本田技研への入社2年目に当たる1996年には、アトランタオリンピック野球日本代表との練習試合で、先発投手として5回を被安打1と好投した。この好投でエースの座をつかむと、第67回都市対抗野球大会でチームを優勝に導くとともに、橋戸賞(最優秀選手賞)を受賞〔『用具係 入来祐作』第2章第4節「野球人生で初めて“晴れの舞台”に立つ - 社会人野球・本田技研大学時代」〕。ドラフト会議では、当時の逆指名制度によって、1位扱いで読売ジャイアンツに入団した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「入来祐作」の詳細全文を読む




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