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全国指導者ローゼンベルク特捜隊 () とは、国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP, ナチ党)が第二次世界大戦中に設置した組織である。(Außenpolitisches Amt der NSDAP, APA)局長である全国指導者アルフレート・ローゼンベルクの指導下で美術品の略奪等を行なった。 == 組織 == ERRが設立された背景には、ローゼンベルクが提唱した「国家社会主義研究の中心的な拠点」となる (Hohe Schule) の設置に関する計画がある〔Ernst Piper: ''Alfred Rosenberg – der Prophet des Seelenkrieges. Der gläubige Nazi in der Führungselite des nationalsozialistischen Staates.'' In: Michael Ley / Julius H. Schoeps (Hrsg.): ''Der Nationalsozialismus als politische Religion''. Bodenheim bei Mainz 1997, S. 122, ISBN 3-8257-0032-1.〕。ローゼンベルクはこの研究機関を完成させる為には国家社会主義の敵、すなわちユダヤ人、フリーメイソン、共産主義者などの文献を占領地にて収集する必要があると主張していた。 1940年7月、を隊長としてERR在仏司令部がパリに設置される。外務局第3課(Amtes III des APA)の一部たるERR中央事務局 (Zentralamt des ERR) はおよび外務局庁舎に隣接したベルリン・マルガレーテ通り18番地 (Margaretenstraße 18) に設置された〔Ernst Piper: ''Alfred Rosenberg. Hitlers Chefideologe.'' München 2005, S. 489.〕。ERRは国家機関ではなくNSDAPの党機関であり、ローゼンベルクの提唱した高等学院に関する構想に従いユダヤ人やフリーメイソンなどドイツの「敵」に関する文書の収集を任務とした〔 Siehe hierzu Führerbefehl vom 5. Juli 1940.〕。しかし押収部隊から多数の芸術品・文化遺産の発見に関する報告が増え始めるとこれの略奪も任務に加わり、やがて芸術品・文化遺産の略奪がERRの主たる任務となっていった。 1940年7月、アドルフ・ヒトラーは新設されたERRに対して次の総統命令 (Führerbefehl) を発した。 * いわゆる「未申請のユダヤ財産」として発見された全ての貴重な文化遺産を接収せよ。 * 図書館や記録保管所を捜索し、国家社会主義ドイツに対して価値のあるものを接収せよ。 * 教会および支部をドイツの監督下に置いた上で捜索を行い、資料を確保せよ。 また1940年9月17日、ヴィルヘルム・カイテル元帥はヒトラーの代理人として、「全ての引き取り手のない文化遺産の確保」 (jeglichen herrenlosen Kulturbesitz sicherzustellen) を命じている〔Jonathan Petropoulos: ''Kunstraub und Sammelwahn. Kunst und Politik im Dritten Reich.'' Berlin 1999, S. 168.〕 。 ERR隊員らは占領下のフランス国内に展開して書籍・記録文書の捜索および回収を行なった他、ベネルクス三国では膨大な数の美術品をユダヤ人から略奪した。ドイツ大使館と親衛隊特別行動隊および (GFP) では、パリの占領直後から事前にリストアップされていた美術館や個人収集家などを対象とした略奪を開始している。ローゼンベルクやERRもこうした活動に深く関与していたとされる。その後、ERRは占領地における唯一の公的な略奪部隊として活動する事を認められ、ローゼンベルクはアドルフ・ヒトラー総統から略奪に関する全権を委任された。1941年4月から1944年7日にかけて、ERRによるパリからベルリンへ向けた29回の略奪品輸送が行われた。これらの保管はノイシュヴァンシュタイン城に駐在するERRが担当した。 1940年から1945年にかけて、ERRはフランス、ベネルクス三国、ポーランド、バルト三国、ギリシャ、イタリア、、などで活動した。ERRでは地域ごとに主要行動隊(Haupteinsatzgruppen)が、分野別に特務幕僚部(Sonderstäbe)が編成されていた。多くの場合、ERRによる略奪を受けた者は強制収容所へと送られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「全国指導者ローゼンベルク特捜隊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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