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八尾民芸紙業社は、かつて富山県富山市にあった製紙業社。 == 概要 == 八尾和紙の生産業者のうち、平成まで残った3社のうちの1社である〔『富山新聞』1995年3月11日付25面。〕。富山市八尾町上新町に所在し、和紙の製造、和紙製品の加工や、五箇山地区などから仕入れた製品の販売など行っていた。 1937年に谷井三郎らが設立した富山県美術紙研究所が起源にあたる。1939年に王子製紙系の製紙会社、日本加工製紙が研究所を吸収して日本擬革製造を設立、和紙を使った皮の代用品を製造するほか、軍用紙や工芸紙の製造も行っていた〔加藤明『現代に生きる北陸の紙郷 ―加賀雁皮紙、加賀二俣和紙、越中和紙、越前和紙の産地と事業者のケース― 』JAIST Press〈文部科学省・科学技術戦略推進費・地域再生人材創出拠点形成プログラム 石川伝統工芸イノベータ養成ユニット・ケースブックシリーズ6〉、2012年、20-21ページ。〕〔続八尾町史編纂委員会編集『続八尾町史』八尾町役場、1973年、272-273ページ。〕〔日本擬革製造設立後の1941年に発表された文章で、谷井が設立した日本紙擬皮紙製造所なる八尾の工場が擬革紙を製造しており、その特許権を玉子製紙(ママ)工場が買い取った、と述べるものがある。石戶貞太郞「八尾町附近の和紙について(婦負郡)」『越中鄕土硏究』第5巻第9号、越中鄕土硏究會、昭和16年10月27日、1-2ページ。〕。日本擬革製造は1950年4月に日本加工製紙に吸収されたが〔『昭和28年版 通商産業大観』東京通産情報社、1953年、921ページ。〕〔『日本會社史總覽』經濟往來社、1954年、632-633ページ。〕、八尾の工場は1960年に元社員が日本民芸紙業社を設立して引き継ぎ、系列を離れて独立、この会社が後に八尾民芸紙業社となった〔『続八尾町史』283ページ。〕〔小林良生「越中八尾紙探訪記」『百万塔』第53号、紙の博物館、1982年3月、46-63ページ。〕。最盛期には、京都など他県への卸販売などもおこなっていた。 2009年には元の建物が「坂のまちアートinやつお 2009」で作品展示に利用された〔「40カ所に絵画、彫刻、写真 八尾に芸術の秋 坂のまちアート開幕」『富山新聞』2009年10月11日付16面。〕〔第14回「坂のまちアートinやつお」(2009)-越中八尾の町家で展開されるアートイベント 〕。 * 所在地 - 富山県富山市八尾町上新町2961〔「「お買い物ラリー」売出加盟店一覧 」 1999年 八尾町商工会、2015年3月27日閲覧〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「八尾民芸紙業社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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