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八流の戦い : ミニ英和和英辞書
八流の戦い[やながれのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やつ]
 (num) eight
: [りゅう]
  1. (n,n-suf) style of 2. method of 3. manner of 4. school (of thought) 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

八流の戦い : ウィキペディア日本語版
八流の戦い[やながれのたたかい]

八流の戦い(やながれのたたかい)とは、1569年永禄12年)、土佐国長宗我部元親安芸国虎との間に起こった合戦。
== 戦いまでの経緯 ==
土佐中央部を支配する長宗我部氏と土佐東部を支配する安芸氏は以前より犬猿の仲であった。長宗我部元親が1563年本山氏征伐に向かった際、安芸国虎は元親の本拠地である岡豊城へ攻め込んだが、福留親政らの活躍にて撃退されている(福留の荒切り)。その後軍を立て直した元親は安芸討伐に向かったが、一条兼定の仲介で和睦した。
1569年4月、元親は国虎に宛て、「和睦したいので岡豊城へ来ていただきたい」という書状を書いたが、国虎は「無礼千万」として取り合わなかった。これを大義名分として元親は安芸領へ攻め込む事となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「八流の戦い」の詳細全文を読む




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