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八馬財閥 : ミニ英和和英辞書
八馬財閥[はちうまざいばつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やつ]
 (num) eight
: [うま]
 【名詞】 1. (1) horse 2. (2) promoted bishop (shogi) 
: [ざい]
  1. (n,n-suf) fortune 2. riches 
財閥 : [ざいばつ]
 【名詞】 1. zaibatsu 2. plutocrats 3. financial clique 4. chaebol (Korean) 
: [ばつ]
  1. (n,n-suf) clique 2. clan 3. faction 

八馬財閥 : ウィキペディア日本語版
八馬財閥[はちうまざいばつ]
八馬財閥(はちうまざいばつ)は、八馬家が、天保10年(1839年)に生まれた初代八馬兼介が22歳で分家し、米穀商八馬屋を起こしたところに始まる。阪神財閥のひとつ。
初代八馬兼介は、産をなした後、明治11年に風帆船西尾丸を買い入れて海運業に進出した。23年にはドイツ汽船メリタ号を購入し、多聞丸と命名した。メリタ号購入後も中古汽船を買い入れ多門丸と名づけ、多門丸は18号にまで及んだ。多門丸以外にも久保丸、大正丸、勝立丸などがあった。明治36年の1隻、714総トンから、40年の4隻、6739総トン、44年の9隻、21103総トンと増加し、八馬家は中堅社外船主として成長を遂げた。大正14年には「八馬汽船株式会社」を設立した。
初代兼介には養嗣子がいたが、なぜか、初代は二代目兼介に後を譲らなかった。大正5年、二代兼介の長男栄之助が早大商科を卒業すると、初代は翌年隠居し、栄之助に三代兼介を称させて、家督を相続させた。
八馬家は、家業として海運業を営んだほか、西宮の有力資産家として、西宮銀行武庫銀行神戸土地興業阪神急行電鉄等の設立に共同出資した。とりわけ、西宮銀行(明治24年設立)、武庫銀行(前身西宮貯金銀行の創立は明治29年)においては、創立以来、大株主として取締役の地位を確保し続けた。八馬兼介は、西宮銀行では明治31年以来、武庫銀行では創立以来、頭取であった。
大正6年、初代兼介は両行頭取を辞任し、孫の三代兼介が後を継いだ。西宮銀行は、昭和7年、武庫銀行を合併した。そして昭和11年、兵庫県の7銀行(三十八、神戸岡崎、五十六、西宮、灘商業、姫路、高砂)の合併による神戸銀行設立に参加した。三代兼介は、神戸銀行初代頭取に就任、昭和22年までその職にあった。
神戸銀行設立時、西宮銀行は払込資本金214,7万円で県下第四位、預金3507万円で第三位であった。
八馬兼介がほぼ一貫して西宮、武庫両銀行の頭取の地位を占め続けたことから、両行は八馬家の準家業として発展した。
戦後、八馬家の家業は、八馬汽船 多聞酒造を2本柱として存続することになったが、多聞酒造は2004年に経営破綻多聞ブランドは大関株式会社に譲渡された。
==外部リンク==

*八馬汽船


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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