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公方(くぼう)とは、前近代の日本において、国家に関する公(おおやけ)のことを体現する方面及び国家的統治権、すなわち古い時代の天皇やその朝廷、鎌倉時代、室町時代の将軍に起源する言葉である。特に室町時代の後半には、将軍の公権力の代行者として君臨した足利将軍家の一族の者の肩書きとして用いられた。公方の称号を公方号という。また、将軍、公方の敬称として御所号が用いられた〔網野善彦監修『日本史大辞典 6』(平凡社、1996年) 78頁参照。〕。 == 沿革 == ===「公方」号の発生 === 公は中国において私を内包する観念であり、日本で言うところの民と国家を総合する意味があった。日本語ではこの意が変化し、「公」は「私」を含まない観念で国家の取り扱う領分を意味する語となり、私の対義語となった。このような観念は「五公五民」「公私混同」といった用い方にあらわれている。 このような感覚から、古代には日本という国家を一身で体現する存在である天皇を指し示す表現として「おおやけ」という言葉が使われ、天皇やその家、朝廷を「公家(こうけ)」或いは「公方」と呼称する慣習が生まれた。 特に荘園などの私的な所領が広がりを見せた平安時代後期以後には国家的な統治権を強調するためにも用いられた。だが、相対的な朝廷権力の低下した鎌倉時代以後には、荘園・公領の一円支配を実現させた本所(寺社・公家)や武家などが、その土地の統治権の保持者として「公方」と名乗る例も登場した。 更に鎌倉幕府においても弘安6年(1283年)頃より、執権北条氏の得宗・御内人・御内御領に対抗して、皇族将軍を「公方」・御家人を「公方人々」・関東御領を「公方御領」と呼称する規定が成立する。これは皇族将軍と執権北条時宗を擁して幕政改革に乗り出した安達泰盛が北条氏の私的権力の幕政への介入を抑制するために幕府の主権が征夷大将軍とその主従関係下にある御家人にある事を示すために採用したといわれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「公方」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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