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六十宮 : ミニ英和和英辞書
六十宮[ろくじゅう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ろく]
  1. (num) six 
六十 : [ろくじゅう]
 【名詞】 1. sixty 
: [とお]
  1. (num) 10 2. ten 

六十宮 ( リダイレクト:清棲家教 ) : ウィキペディア日本語版
清棲家教[きよす いえのり]

清棲 家教(きよす いえのり、文久2年5月22日1862年6月19日) - 大正12年(1923年7月13日)〔霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上(霞会館、1996年)、p.529〕は、皇族伏見宮家)出身の日本の華族伯爵)。佛光寺第26代管長を務めたあと還俗し、貴族院議員、官選県知事などを務めた。
== 経歴 ==
文久2年(1862年)、伏見宮邦家親王の第15王子〔として江戸で〔生まれる。幼称は六十宮〔〔霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上(霞会館、1996年)、p.47〕。慶応2年(1866年)に臣籍降下して真宗仏光寺第25代管長教応(法名は真達、鷹司政通三男)の養子となる。明治元年(1868年)、仏光寺を相続〔〔霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上(霞会館、1996年)、p.727〕〔『コトバンク』所収デジタル版 日本人名大辞典+Plusによれば、明治6年(1873年)に出家して仏光寺住職となる、とある。〕、仏光寺第26代管長となった。明治5年(1872年)には華族に列し、寺の所在地から取った渋谷(しぶたに)を家号として〔〔、渋谷 家教(しぶたに かきょう)と称した〔。明治13年(1880年)、大教正〔。
明治21年(1888年)6月28日に渋谷家を離籍〔、いったん伏見宮家に復帰したのち〔、再度臣籍降下して新たに清棲の姓を賜り、伯爵清棲家教となった〔〔『官報』第1499号、明治21年6月29日。〕。貴族院伯爵議員宮中顧問官のほか、山梨茨城和歌山新潟の各県知事を務めた。
妻は倉橋泰顕の長女、満子〔。子の隆教は渋谷家を継いだため(明治29年に男爵となる〔)、清棲伯爵家は真田伯爵家から養子に入った幸保が相続した〔。なお、幸保は後に、家教の甥に当たる伏見宮博恭王の第2王女、敦子女王と結婚している〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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