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六条 有忠(ろくじょう ありただ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代初期の公卿。正二位権中納言。従一位内大臣六条有房の子。 == 生涯 == 弘安9年(1286年)10月に従五位下に叙爵し、永仁3年(1295年)4月に侍従。永仁5年(1297年)には左近衛少将を兼任。 正安元年(1299年)従五位上、続いて正安3年(1301年)正五位下、翌年には従四位下に叙されている。嘉元元年12月(1304年1月)左近衛中将、嘉元2年(1304年)には播磨介を務め、翌嘉元3年(1305年)従四位上次いで嘉元4年(1306年)正四位下に昇叙。延慶2年(1309年)正月に従三位、正和3年(1314年)4月に正三位に昇る。 長らく散位が続くが、漸く文保2年(1318年)後宇多法皇が院政を開始すると参議に任ぜられ、同年右近衛中将、左近衛中将さらに春宮権大夫となり、邦良親王に仕える。そして11月には従二位に昇るなど父が法皇の側近であったため急速な昇進を見せた。文保3年(1319年)権中納言に昇るが翌年辞す。元亨4年(1324年)8月、東宮の命によって幕府に派遣される。10月に帰京。嘉暦元年(1326年)邦良親王の薨御とともに出家。法名は賢忠。暦応元年/延元3年12月(1339年2月)に薨去。享年59。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「六条有忠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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