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六条天皇(ろくじょうてんのう、長寛2年11月14日(1164年12月28日) - 安元2年7月17日(1176年8月23日))は日本の第79代天皇(在位:永万元年6月25日(1165年8月3日) - 仁安3年2月19日(1168年4月9日))。諱を順仁(のぶひと)という。 ==系譜== 二条天皇の第二皇子(第一皇子として大僧都尊恵があったとされるが不明点が多く、六条天皇が第一皇子とされる場合が多い)。生母は大蔵大輔伊岐致遠女〔六条天皇生母の出自については諸書に異同がある。「大蔵大輔伊岐善盛女」(『本朝皇胤紹運録』)、「伊岐兼盛女」(『簾中抄』)、「伊岐吉盛女」(『平家物語』)、「大蔵大輔藤原義盛女」(『百錬抄』)、「大蔵大輔伊岐宗遠女子」(『愚管抄』)。『山槐記』永暦元年11月15日条に「大蔵少輔伊岐善盛」との記載があるため、『本朝皇胤紹運録』による「伊岐善盛女」が正しいと考えられる(竹鼻績『今鏡(上)』講談社学術文庫、1984年、524頁)。〕。卑母であったため、父帝の中宮である藤原育子を母后と公称した〔藤原育子の出自について、『尊卑分脉』は左大臣徳大寺実能の娘で法性寺関白藤原忠通の養女となったとしているが、別の資料では忠通の実の娘であったともいい、育子を通して摂関家の近衛基実が外戚として六条天皇を後見したのは事実である。〕〔六条天皇と徳大寺家の関係については、生母の実家である伊岐氏が徳大寺家の家司の家柄であったことから、同家が生母伊岐氏に代わって事実上の外戚とみなされたとする見方があり、六条天皇即位直前に徳大寺実定が権大納言を辞任した事や六条天皇退位の背景には清盛による徳大寺家排除の意図があったとする見方もある(中村文『後白河院時代歌人伝の研究』笠間書院、2005年、48-49頁)。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「六条天皇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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