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(n) the six virtues (perfections) a Buddha elect practices to attain supreme enlightenment =========================== ・ 六 : [ろく] 1. (num) six ・ 六波羅蜜 : [ろっぱらみつ] (n) the six virtues (perfections) a Buddha elect practices to attain supreme enlightenment ・ 波 : [なみ] 【名詞】 1. wave ・ 波羅蜜 : [はらみつ] 【名詞】 1. paaramitaa 2. entrance into Nirvana ・ 蜜 : [みつ] 【名詞】 1. nectar 2. honey
波羅蜜(はらみつ)、あるいは、玄奘以降の新訳では波羅蜜多(はらみた、はらみった) (、 パーラミー、、 パーラミター)とは、パーリ語やサンスクリット語で「完全であること」、「最高であること」、を意味する語で、仏教における各修行で完遂・獲得・達成されるべきものを指す。到彼岸(とうひがん)、度(ど)等とも訳す。 『般若経』では般若波羅蜜(般若波羅蜜多)ほか全6種(六波羅蜜)を、あるいは『華厳経』などではこれに4種を加え10種(十波羅蜜)を数える。『摩訶般若波羅蜜経』は九十一波羅蜜を列挙するが、全体としての徳目は六波羅蜜である。 == 語源 == サンスクリット文法による語源的解釈では、Pāramitā を、"pāramī"(「最高の」を意味する "parama" の女性形)+ "-tā"(抽象名詞をつくる接尾辞)と分解し、「最高であること」、「完全であること」とされる。しかし中国およびチベットなどの北伝仏教の伝統的な解釈では、これを"pāram"(彼方、"pāra" の 業格)+ "ita"(動詞 "i" 行くの過去分詞女性形)と読み、「彼方に行った」すなわち此岸(迷い)から彼岸(覚り)に到る行と解するのが通例である〔大智度論巻第十二の檀波羅蜜法施の説明にも「波羅(秦言彼岸)蜜(秦言到)是名渡布施河得到彼岸」とある。〕。「度(ど)」「到(とう)彼岸」などの訳語や、チベット語訳の pha rol tu phyin pa(彼岸に到った)もまたこの解釈からきている。〔『般若波羅蜜多(prajñapāramitā)の解釈』 <東洋学論叢> 1997年 渡辺章悟 書誌情報 〕 また"para" は、"parachute"、"parallel"、"parasite" 等の接頭辞"para-"と同一の語源であると考えられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「波羅蜜」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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