|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 六 : [ろく] 1. (num) six ・ 興 : [こう] 【名詞】 1. interest 2. entertainment 3. pleasure ・ 出 : [で] 1. (n,n-suf) outflow 2. coming (going) out 3. graduate (of) 4. rising (of the sun or moon) 5. one's turn to appear on stage ・ 出版 : [しゅっぱん] 1. (n,vs) publication ・ 版 : [はん] 【名詞】 1. edition 2. version
株式会社六興出版(ろっこうしゅっぱん)は、1992年まで存在した日本の中堅出版社。旧名は六興出版部、六興出版社。 1940年、商事会社の六興商事に大門一男が「出版部」を作ったことから始まる。戦後「六興出版部」となり、菊池寛の秘書だった佐藤碧子の夫の石井英之助、吉川英治の弟・吉川晋、直木三十五の愛人の弟・香西昇が文藝春秋から入社する。商事時代からの社長・小田部諦が死去して矢崎義治が2代目社長となる。1949年「六興出版社」と改称。吉川英治の著作を多数出版していた(『宮本武蔵』の版権をめぐって講談社と係争した過去がある)ほか、学術・文芸書を出版した。 1949年に中間小説雑誌『小説公園』を創刊。これも吉川英治の後援を受けていたが、赤字続きで1958年に廃刊となった。その前に風雪社の早稲田系の文芸誌『風雪』の経営を引き継いでいたが、『小説公園』の赤字の影響により1950年8月号で休刊となった。『風雪』に連載されていた林芙美子「浮雲」は文藝春秋新社の『文學界』に引き継がれた。1952年、石井が社長となる。1962年、石井の死により吉川が社長となる。1968年に吉川が死去したのちは吉川の未亡人が差配し、吉川関連の著作は重版し続けた。 後期は「石田幹之助著作集」など東洋史・東洋学を多く出していた。バブル期に行った不動産投機(自社ビル内に貸しスタジオを設置するなど)の失敗が原因で倒産した。 最終所在地は東京都文京区水道2-9-2。跡地にはキングレコードが入居し、現在は同社の江戸川橋スタジオとなっている。 == 参考文献 == *大村彦次郎『文壇栄華物語』筑摩書房 1998年 *佐藤碧子『瀧の音 懐旧の川端康成』京都白川書院、1980年 *清水俊二『映画字幕五十年』ハヤカワ文庫 *山崎安雄『著者と出版社』学風書院、1954年 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「六興出版」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|