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兵庫県立神戸高等学校 : ミニ英和和英辞書
兵庫県立神戸高等学校[ひょうごけんりつこうべこうとうがっこう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [へい]
 【名詞】 1. (1) (common) soldier 2. rank and file 3. (2) army 4. troops 5. (3) warfare 6. strategy
兵庫県 : [ひょうごけん]
 (n) Hyogo prefecture (Kinki area) (Hyougo)
: [けん]
 【名詞】 1. prefecture 
県立 : [けんりつ]
 【名詞】 1. prefectural (institution) 
: [かみ]
 【名詞】 1. god 
: [と]
 【名詞】 1. door (Japanese-style) 
: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
高等学校 : [こうとうがっこう]
 【名詞】 1. senior high school 
: [など]
  1. (suf) and others 2. et alia 3. etc. (ら)
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 
学校 : [がっこう]
 【名詞】 1. school 
: [こう]
  1. (n,n-suf) -school 2. proof

兵庫県立神戸高等学校 : ウィキペディア日本語版
兵庫県立神戸高等学校[ひょうごけんりつこうべこうとうがっこう]

兵庫県立神戸高等学校(ひょうごけんりつこうべこうとうがっこう、Hyogo Prefectural Kobe High School)は、兵庫県神戸市灘区城の下通一丁目にある県立高等学校。略称は「神高」(じんこう)、「神戸」(こうべ)、「神戸高校」(こうべこうこう)など。
== 沿革 ==
;旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
*1895年明治28年)4月5日 - 臨時兵庫県会が開会される。
 *県立の尋常中学校3校(神戸・豊岡洲本)の設置が提案され、神戸・豊岡の2校設置が可決される。
*1896年(明治29年)
 *3月16日 - 兵庫県神戸尋常中学校の設置が告示される。
 *4月1日 - 神戸市葺合区二宮町に「兵庫県神戸尋常中学校」が開校。兵庫県下では2番目の開校〔姫路中学校に次ぎ、豊岡中学校と並んで2番目の開校。〕。略称「神中」〔読みは「じんちゅう」で、校歌の歌詞にも織り込まれている。〕。
 *5月1日 - 1・2年生を選抜召集し、授業を開始。
*1899年(明治32年)
 *4月1日 - 中学校令の改正により「兵庫県神戸中学校」に改称(「尋常」が除かれる)。
 *4月7日 - 寄宿舎を設置。
*1901年(明治34年)4月1日 - 「兵庫県立神戸中学校」に改称(県の後に「立」が加えられる。
*1907年(明治40年)
 *3月28日 - 寄宿舎を廃止。
 *4月1日 - 兵庫県立第二神戸中学校が新設されたことにより、「兵庫県立第一神戸中学校」に改称。
  *以降、「一中」とも通称されるようになる。初年度の入学試験は第一中学校と第二中学校の合同で実施され、合格者は鯉川筋の東西で両校に振り分けられた。この学区制は1909年(明治43年)まで3年間継続。
*1912年(明治45年)2月17日 - 改築校舎に移転。
*1913年大正2年)6月 - 校歌を制定。
*1919年(大正8年)8月19日 - 野球部が第5回全国中等学校優勝野球大会夏の甲子園の前身大会)で優勝。
*1925年(大正15年)1月19日 - 蹴球部が第8回日本フットボール優勝大会で優勝。
 *以後1929年(昭和4年)、1932年(昭和7年)、1934年(昭和9年)、1935年(昭和10年)、1938年(昭和13年)、1946年(昭和21年)に全国制覇を遂げる。
*1928年(昭和3年)
 *9月 - 自治的訓練強化のために戊辰会を結成。
 *10月 - 昭和天皇御大典を記念して三田に学校林を購入。
*1929年(昭和4年)4月29日 - 湊川神社において校旗入魂式挙行。
*1936年(昭和11年)4月29日 - ラグビー部が全国中等学校蹴球大会出場。決勝戦で天理中に敗れ準優勝。
*1938年(昭和13年)4月9日 - 現在地に移転。
*1942年(昭和17年)
 *4月1日 - 一中・二中間で学区制が導入され、新生田川以東が校区となる。
 *12月8日 - 一誠神社鎮座式。東郷平八郎元帥の遺髪を納める。
*1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。
*1944年(昭和19年)4月1日 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、修業年限短縮(5年から4年へ短縮)の実施が前倒して行われることとなる。
*1945年(昭和20年)
 *3月 - 修業年限短縮実施の前倒しにより、1940年(昭和15年)に入学した5年生と1941年(昭和16年)に入学した4年生の合同卒業式が行われる。
 *4月1日 - 授業が停止される。ただし勤労動員は継続。
 *8月31日 - 大日本帝国陸軍神戸連隊区司令部が校内に移転。
 *9月 - 授業を再開。
*1946年(昭和21年)
 *4月1日 - 修業年限が5年に戻る。
 *11月3日 - サッカー部が第1回国民体育大会東西対抗戦出場。湘南中に敗れ準優勝。
*1947年(昭和22年)
 *1月 - 戊辰会を解散し、自治会を結成。
 *4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
  *旧制中学校の生徒募集を停止。
  *新制中学校を併設し(名称:兵庫県立第一神戸中学校併設中学校、以下:併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
  *併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
  *旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学に在籍し、その4・5年生となった(4年で卒業することもできた)。
 *6月11日 - 全国巡幸中の昭和天皇が来校し、同校213号教室を臨時の御座所として2泊する。
*1948年(昭和23年)
 *4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)にともない、旧制中学校が廃止され、新制高等学校「兵庫県立第一神戸高等学校」(男子校)が発足。
  *旧制中学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
  *併設中学校は新制高校に継承され(名称:兵庫県立第一神戸高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
 *5月25日 - 兵庫県立第一神戸女子高等学校が併置される。
;高等女学校・新制高等学校(女子校)時代
*1901年(明治34年)
 *2月15日 - 神戸市神戸区下山手通に「兵庫県高等女学校」が開校。
 *4月1日 - 「兵庫県立高等女学校」と改称(県の後に「立」が加えられる)。
 *5月1日 - 1・2年生を選抜召集し、授業を開始。この日をもって開校記念日とする(後に創立記念日に改称)。
*1902年(明治35年)5月4日 - 寄宿舎を開設。
*1903年(明治36年)4月1日 - 技芸専修科を併置。
*1910年(明治43年)4月1日 - 県内に高等女学校が新設されたため、「兵庫県立神戸高等女学校」と改称。
*1911年(明治44年)5月 - 校歌を制定(作詞:大桑イヨ/作曲:田中銀之助)。
*1913年(大正2年)3月5日 - 技芸専修科を廃止。
*1919年(大正8年)4月1日 - 同窓会の経営による補習科(後の欽松学園)を開講。
*1920年(大正9年)6月1日 - 制服を和服から洋服に改定。
*1924年(大正13年)
 *3月14日 - 新校舎が完成し、祝賀会を挙行。
 *4月1日 - 高等科を設置。
 *6月18日 - インドの詩聖、タゴールが来校。
 *11月28日 - 元中華民国大総統孫文が同校講堂にて講演を行う。
*1925年(大正14年)3月13日 - 兵庫県立第二神戸高等女学校の新設に伴い、「兵庫県立第一神戸高等女学校」と改称。
*1926年(大正15年)11月3日 - 排球部が明治神宮競技大会で優勝。
*1927年(昭和2年)8月30日 - 排球部が上海で行われた第8回極東選手権競技大会で優勝。
*1928年(昭和3年)6月10日 - 排球部が日本オリンピック大会3連覇。
*1929年(昭和4年)6月7日 - 昭和天皇が来校。
*1931年(昭和6年)3月31日 - 寄宿舎を廃止。
*1932年(昭和7年)4月1日 - 補習科を家政研究科と改称し、保育研究科を併置。
*1933年(昭和8年)4月18日 - 家政・保育両研究科が、欽松学園として県から認可される。
*1940年(昭和15年)10月30日 - ヒトラーユーゲント来校。
*1942年(昭和17年)4月1日 - 学区制が導入され、新生田川以東が校区となる。
*1945年(昭和20年)
 *6月5日 - 神戸大空襲により校舎の一部を焼失。
 *10月15日 - 兵庫県庁に校舎を提供するため、兵庫県立第二神戸高等女学校に移転。
*1946年(昭和21年)12月24日 - 北長狭校舎(現・神戸市立神戸生田中学校)に移転。
*1947年(昭和22年)
 *3月 - 欽松学園、保育科を廃止。
 *4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
  *高等女学校の生徒募集を停止。
  *新制中学校を併設し(名称:兵庫県立第一神戸高等女学校併設中学校、以下:併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
  *高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校に在籍し、4年生または高等科生となる。
*1948年(昭和23年)
 *4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、高等女学校が廃止され、新制高等学校「兵庫県立第一神戸女子高等学校」(女子校)が発足。
  *高等女学校高等科生を新制高校3年生、高等女学校卒業生(4年修了者)を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
  *併設中学校は新制高校に継承され(名称:兵庫県立第一神戸女子高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
 *5月25日 - 兵庫県立第一神戸高等学校の校地に移転し、併置される。
 *8月 - 「兵庫県立神戸欽松高等学校」に改称。
;新制高等学校(男女共学)
*1948年(昭和23年)
 *5月27日 - 兵庫県立第一神戸高等学校と兵庫県立第一神戸女子高等学校の両校併置の状態で男女共学を実施。
  *ただし男女で学級が分かれていたため、完全な共学ではなかった(男女併学)。
 *6月14日 - 両校の併設中学校で男女共学を開始。
 *9月1日 - 兵庫県内の公立高校再編により、両校を統合し、「兵庫県立神戸高等学校」(現校名)に改称。
  *第1学年で男女混合編成による授業を開始(完全男女共学を開始)
  *併設中学校も統合され、兵庫県立神戸高等学校併設中学校に改称(3年生のみの中学校)。
*1949年(昭和24年)
 *3月31日 - 併設中学校を廃止。
 *4月1日
  *GHQの教育課程の高校三原則の方針から、総合制により商業科を設置。
  *学校間格差の撤廃を目的として教員の6割が移動、また小学区制の実施により併設中学校生徒の大半が他校への転出を余儀なくされる。男子の多くは制度再改定後の復学を企図して、最寄りの私立灘高校に進学した〔『世界から見た灘高型受験教育』(一本松幹雄。教育開発研究所。平成10年1月20日初版発行) p 69, 70に「このような状況下にあって、多くの神戸一中生たちが男子校を続ける灘高に移ってきた。灘は私立で学区制の適用外であったので、どこからでも通学できるからだった。神戸一中から灘に転校した生徒たちは実に多く、二十名以上だったと思う。」「そして、それまで、小学校で「一番」とされたよい意味で目立つ生徒たちは神戸一中に進学していたが、これを契機に灘中に進学するようになったのだ。この点で、校風には相当に大きな相違があるものの、灘は神戸一中の後継校という意味もあり、世間でも兵庫県下随一の秀才校が一中から灘に変わったと見なす向きが多かった。」と記載されている。〕。また同時に同校へと転職した教員も数多く、これ以降西日本ナンバーワンの進学校の座を灘中学校・高等学校に譲ることとなる。
  *欽松学園が再興。高山忠雄神戸高校長が学園長を兼任。
*1950年(昭和25年)3月 - 旧高等女学校の高等科を廃止。
*1951年(昭和26年)
 *7月20日 - 校歌を制定。
 *7月24日 - 淡路島江井に臨海学舎を開設(1994年鳥取県東浜に移転後、2003年で休止)。
*1952年(昭和27年)4月1日 - 中学区制を実施。神戸市は3つの学区に再編され、この3学区制は2014年度まで続く。
*1956年(昭和31年)3月31日 - 商業科を廃止。
*1958年(昭和33年)11月 - 合唱部がNHK全国唱歌ラジオコンクールで初優勝。
*1959年(昭和34年)5月 - 鵬雛会(男子・旧一中同窓会)と欽松会(女子・旧県一同窓会)が統合され、「社団法人兵庫県立神戸高等学校同窓会」が発足。
 *欽松学園の経営も神高同窓会に継承される。
*1961年(昭和36年)
 * 3月24日 - 欽松学園が学校法人として認可され、「欽松文化学園」と改称。
 * 8月 - サッカー部がインドネシアを親善訪問。
*1962年(昭和37年)11月 - 合唱部がNHK全国学校音楽コンクール全日本合唱コンクールの両コンクールを同時制覇。
*1963年(昭和38年)4月 - 合唱部がアメリカ合衆国親善演奏旅行。
*1965年(昭和40年)- 米国ワシントン州コロンビア高校と姉妹校提携。
*1968年(昭和43年)- 兵庫方式入試制度実施。理IIコースを設置。
*1969年(昭和44年)- 兵庫県高等学校総合体育大会において、公立校として初の男子総合優勝。
*1971年(昭和46年)- 芦屋市教育委員会の方針転換により、芦屋学区からの越境入学が事実上禁止される。
*1972年(昭和47年)- 兵庫県高等学校総合体育大会において男子総合4連覇。
*1973年(昭和48年)- 合唱部が全日本合唱コンクールで史上初の3年連続金賞受賞。
*1974年(昭和49年)4月1日 - 欽松文化学園が「欽松女子専門学校」と改称。
*1978年(昭和53年)- 県教委の広域人事計画が発表。以降教員の移動が激しくなり、永年勤続の名物教師の転出が加速。理IIコース廃止。
*1979年(昭和54年)4月1日 - 欽松女子専門学校が「欽松専門学校」と改称。
*1986年(昭和61年)4月1日 - 理数コースを設置。
*1988年(昭和63年)8月 - 山岳部が全国高等学校総合体育大会にて優勝。
*1989年(平成元年)- 合唱部が全日本合唱コンクールで2度目の3年連続金賞受賞。
*1994年(平成6年)- 欽松専門学校が解散。
*1995年(平成7年)1月17日 - 阪神・淡路大震災が発生し生徒2名、職員1名が犠牲となる。
*1996年(平成8年)5月1日 - 創立100周年記念式典を挙行。
*1997年(平成9年)10月 - シンガポールラッフルズ・ジュニア・カレッジ(RJC)と姉妹校提携。
*2002年(平成14年)
 *この年 - 神戸大学との協力により高大連携講義が開始される。
 *12月31日 - 校舎改築工事竣工。
*2003年(平成15年)4月1日 - 理数コースに代わり、総合理学コースを設置。
*2004年(平成16年)4月1日 - 文部科学省からスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の研究指定を受ける。
*2006年(平成18年)4月1日 - 学区再編(神戸第一学区→神戸第一・芦屋学区)により、芦屋市が通学圏に復帰。
*2007年(平成19年)
 *4月1日 - 総合理学コースを全県学区の総合理学科に改編。
 *この年 - 英国チャタム・グラマースクール・フォア・ボーイズ(CGSB)と姉妹校提携。
*2009年(平成21年)4月1日 - スーパーサイエンスハイスクール事業「中核的拠点育成プログラム採択校」に指定。
*2010年(平成22年)4月1日 - スーパーサイエンスハイスクール事業「コアSSH採択校」に指定。
*2015年(平成27年)- 学区再編により、普通科の通学区域が神戸市、芦屋市、洲本市南あわじ市淡路市の全域となる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「兵庫県立神戸高等学校」の詳細全文を読む




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