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兼城村(かねぐすくそん)は、かつて沖縄県島尻郡に存在した村。現在の西崎地区を除く糸満市北部に該当する。 1908年の島嶼町村制施行で兼城村となったが、字糸満(兼城間切糸満村)のみ(旧)糸満町として分立した。1961年10月1日に(旧)糸満町・高嶺村・三和村と合併し、(新)糸満町となり消滅した。現在は、旧村内一帯を兼城地域として、糸満市の一地域に位置づけられている。 == 沿革 == かつてこの地域は兼城間切で、古くは「しもしましり」、または島尻兼城間切と呼ばれていた。農業のほかに、海人(うみんちゅ)の町である糸満に港があったため、漁業も盛んだった。1896年に島尻郡に編入。1908年の島嶼町村制施行で兼城間切がそのまま兼城村となったが、漁港を抱えていた糸満だけは分立し、糸満町として唯一町制を敷いた。 中心となる村役場は座波に置き、県都那覇と糸満とを結ぶ経由・通過地とし交通網が発展した。1923年には沖縄県営鉄道糸満線が開通し、村内に兼城駅が設置された。 沖縄戦では1500人余が犠牲になったが、引き続き村役所を座波に置き、村として戦後復興を努めた。しかし、行財政力に乏しかったことから、財政力の強化と行政運営の合理的・能率的から1961年10月1日に(旧)糸満町・高嶺村・三和村と合併し(新)糸満町となり、兼城村は消滅した。一度は分離した字糸満はこの合併で再び一緒になったものの、町の中心は旧糸満町である字糸満におかれた。糸満町は1971年12月1日に市に昇格し、糸満市となった。 合併後、座波の兼城村役所は糸満町兼城支所となったが数年後に廃止され、庁舎は兼城農協(現在は廃止)の庁舎として使用された。また小中学校の校区も一部見直され、学校のある中心部の座波から遠く、字糸満に近い照屋や兼城の一部は字糸満にある学校へ通学先が変更された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「兼城村」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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