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兼平氏 : ミニ英和和英辞書
兼平氏[かねひらし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けん]
  1. (conj,n) and 2. in addition 3. concurrently 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
平氏 : [へいし]
 (n) the Tairas
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

兼平氏 : ウィキペディア日本語版
兼平氏[かねひらし]
__NOTOC__
兼平氏(かねひらし)は、津軽氏の支流で戦国時代から江戸時代にかけて同家に仕えた。
== 歴史 ==
大浦氏当主大浦盛信・政信兄弟の弟盛純が領地兼平村兼平館を築き、その名を姓にしたことに始まる(南朝の遺臣・兼平中書雅則の名跡を継がせたとの説もある)。盛純の嫡男綱則は、森岡信元小笠原信浄と並び大浦三老の一人として、主君津軽為信の津軽統一戦の際に数々の武功を挙げた。その孫信孝の代には、「津軽」姓も許された。しかし、船橋騒動にて新参者の船橋長真乾安儔らと対立した。その結果、寛永13年(1636年)1月喧嘩両成敗として乳井建定と共に長州萩藩毛利家お預けとなり、信孝が同地で没したため、本流は断絶となった。後に綱則の末子源八が後を継ぎ、再興された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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