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内乱の一世紀(ないらんの1せいき)とは、共和政ローマ後期における、紀元前133年のティベリウス・グラックスとローマ元老院(セナトゥス)の対立によるグラックスの死から、紀元前27年にオクタウィアヌスが「アウグストゥス」の称号を得て実質的に帝政がはじまるまでのおよそ100年をさす。 == 前史 == ローマの起源は、紀元前8世紀中ごろにイタリア半島を南下したラテン人の一派がテヴェレ川のほとりに形成した都市国家ローマである(王政ローマ)。当初エトルリア人による王政下にあったローマは紀元前509年、この異民族の王を追放して貴族による共和政を始め、2名の執政官(コンスル)を指導者として、定員300名の元老院が大きな力を持っていた(共和政ローマ)。紀元前494年には護民官(トリブヌス・プレビス)の制度も整えられ、平民(プレブス)も政治に参加していった。 都市国家ローマは次第に力をつけ、中小独立自営農民を基盤として編成された重装歩兵部隊を中核とする市民軍の軍事力によってイタリア半島の諸都市国家を統一(紀元前272年)、さらに3回にわたるポエニ戦争によってカルタゴを降して地中海に覇権を伸ばし、広大な領域を支配するようになった。 しかし、共和政ローマの統治機構は、都市国家のそれから生まれたものであり、広大な領土を統治するのにふさわしいものではなかった。没落した農民が多数ローマに流入して、都市ローマの人口は膨れあがり、貧しい住民はしばしば饑餓に陥った。無産者となった彼らはしばしば「パンとサーカス」を要求した。一方で、征服地の拡大と共にローマは征服地の一部を公有地としつつも、貴族にその占有を許可した。貴族は、属州(プロウィンキア)からの安価な穀物や果実の流入と奴隷労働力の流入によって没落してゆく農民の土地もあわせて大農場経営(ラティフンディウム)をおこなった。属州では、徴税請負人(プブリカーニ)が属州総督とむすんで国家に納める税以上の負担を属州民から搾り取った。 また、従来は土地所有農民が軍隊の中核をなすというローマ軍制も危機に瀕していた。重装歩兵にかわって無産者や属州民の傭兵が軍の主力をなすに至ったのである。元老院は領土が拡大されるたびに制度改良をおこなって、このような諸問題に対処してきたが、元来が都市規模の国家を統治するためのシステムを踏襲してきたため、そうした改革にも限界があった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内乱の一世紀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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