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内匠寮(ないしょうりょう)は、律令制において中務省に属する令外官の一つである。訓読みは「たくみりょう」・「うちたくみのつかさ」など。また、近代の宮内省に設置された内部部局の一つ。 == 律令制における内匠寮 == === 沿革・職掌 === 内匠寮の起源は、神亀5年(728年)聖武天皇の時に新設されたのが始まりである〔『類聚三代格』巻4「加減諸司官員并廃置事」神亀5年7月21日勅〕。令外官であったものの、当初から四等官が設置されていた。 そのルーツは天武天皇の時代にあった飛鳥池工房のような天皇家の家政機関としての官営工房が律令国家の整備とともに内匠寮や鋳銭司などの技術系官司に発展したと考えられている〔十川、2013年、p247-251〕。内匠寮は唐代の官営工房である少府監(しょうふげん)の模倣と考えられ、別称も「少府」という。本寮の特色として日本古来の伴部・品部・雑戸を使わず様々な職人(雑色作手)によって運営されている点である。これは日本の工業の起点といえる。 職掌は天皇家の調度品や儀式用具などの製作である。当初は内匠頭に四位の皇親が任じられるなど調度製作などの中心的な役目を担っていたが、奈良時代後期には勅旨省や造東大寺司に機能の一部を奪われて内匠頭も五位相当に低下する(ただし、相次ぐ皇親の粛清による適任者不足も背景にあったと考えられている)〔芳之内、2013年、p104-109および十川、2013年、P245-246〕。だが、延暦元年(782年)に勅旨省が、同8年(789年)に造東大寺司が解体されて大幅に機能を縮小されると、内匠寮の整備が進められるようになり、また宝亀5年(774年)に大蔵省典鋳司を、大同3年(808年)には中務省画工司と大蔵省漆部司を合併して規模を拡大した。また、大同3年の再編で鍛冶司が木工寮に合併されたのに合わせて鍛冶司の業務の一部が移管され、『延喜式』には公印鋳造の業務が職掌に規定されている〔芳之内、2013年、p109および十川、2013年、p240-241〕。 平安時代前期から中期には官営工房の元締めとして機能して、太政官や蔵人所の命令下で調度製作の業務にあたった〔芳之内、2013年、p126-128〕。 平安時代中期を過ぎると次第に職掌を作物所(つくもどころ)・画所(えどころ)や木工寮・修理職に奪われていくが、これは大規模儀式の減少や朝廷財政の衰退によって、公事や儀式における行事所制や別当制が導入された結果、内匠寮の機能が縮小されつつ他の官司との機能分担が行われるようになったことによるものであり、それは必ずしも内匠寮の形骸化を意味するものではなく、12世紀には右大臣が内匠寮別当を兼務〔『兵範記』嘉応元年8月27日条〕し、その下に年預が任命される〔『兵範記』保元2年8月9日条〕など、以後も朝廷運営に不可欠な官司として存続しつづけていた〔芳之内、2013年、p140-142〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内匠寮」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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