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内国勧業博覧会とは、日本の明治時代に5回開かれた博覧会。名称通り国内の産業発展を促進し、魅力ある輸出品目育成を目的とした、政府主導の博覧会である。 == 概要 == 明治時代は近代化促進のために数多くの展覧会が開かれたが〔鈴木廣之 小林純子 「〈研究報告〉明治期府県博覧会─附・明治期府県博覧会調査資料目録、明治期博覧会一覧(稿)」(米倉迪夫研究代表 『日本における美術史学の成立と展開』 東京国立文化財研究所〈課題番号09301004 平成9~12年度科学研究費補助金 基礎研究(A)(2)研究成果報告書(非売品)〉、2000年3月31日、pp.466-504。〕、内国勧業博覧会はその中でも代表的な博覧会である。「内国」と付くのは、第一回内国博を主導した大久保利通の意向による。これは国内物産の開発・奨励を第一義の目的としていたという意味もあるが、外国人の治外法権と内地通商権の不許可という事情にもよる。他に、明治期の日本には万国博覧会を開催するだけの国力がまだ無かった事も大きい。 明治初期の内国博には、物品を一堂に集めることで優劣が明らかとなることで、出品者の向上心や競争心を刺激して、産業増進を達成することであった。明治中期日清戦争を経ると、精神的部分に国家的団結の場としての効果が期待された。そのシンボルは天皇であり、明治天皇はしばしば内国博に行幸している〔「明治天皇の内国勧業博覧会行幸」(三の丸図録(2012)p.8)〕。そもそも内国博を開くのは天皇の重要な役割で、第4回を除く開場式に臨幸し勅語を発した。第2回以降総裁・副総裁職が設けられるが、実務は副総裁が担当するものの、総裁には皇族が選ばれた。 しかし、会を重ねるごとに内国博の効果に疑問を持つ人々が増えるようになる。そもそも博覧会の効果は即効性がなく目に見えにくい。そこで博覧会の効果としては副次的であるが、わかりやすい博覧会入場者がもたらす経済効果に注目が集まった。入場者を増やすために娯楽的な会場も増え効果もあったが、内国博の本来の目的である国家を富強に導くプロジェクトとしての色合いが薄まり、興行やお祭りに近い娯楽イベントになっていった。また、20世紀に入ると政府が主導しなくとも、内国博レベルの勧業諸会であれば、地方自治体あるいはその連合体で開催可能となっていたことも大きい。こうなると日露戦争後の財政難の政府には、規模増大を続ける内国博は手に負えない事業となり、第6回も「日本大博覧会」の名で開催が1907年(明治40年)3月に公布されたものの、2ヶ月後には延期、同年11月には中止となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内国勧業博覧会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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