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内海 和子(うつみ かずこ 1967年2月16日 - )は、日本のタレント。元子役。本名、下山 和子(しもやま かずこ)。 == 略歴 == 幼少の頃から児童劇団に所属し、劇舞台の公演やテレビドラマに子役として出演して活動していた。高校受験を機にそれらの活動を休止させて子役時代の幕を閉じる。 芸能活動を再開したのは1985年4月。フジテレビの新番組だった『夕やけニャンニャン』のおニャン子クラブのメンバーオーディション・コーナー、「ザ・スカウト アイドルを探せ!」に出場し、河合その子、富川春美と共に合格。翌週からおニャン子クラブのメンバー(会員番号13番)として活動を開始。つまり、番組には実質的に第1回から出演していることになる。 平尾昌晃音楽教室に通っていたことから、おニャン子クラブのデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」のフロントボーカルの一員に抜擢。また、子役経験も買われて、幾つものおニャン子主体のドラマには主役格で出演をこなすなど、おニャン子クラブ活動前期の代表的メンバーとなった。立見里歌と共にとんねるずと番組本番中にケンカをしたことがある(立見里歌#石橋貴明とのケンカ参照)。 おニャン子クラブのシングルレコードB面にて、ソロで「思い出美人」「プリントの夏」を歌う。本格的なソロデビューが決まった際、ラジオで共演していた伊藤政則に「B面の女王、遂にソロデビュー!」と、大絶賛される。 1986年11月、「蒼いメモリーズ」でソロデビュー。このソロデビューを機に、それまでフジテレビの預かりだったのが、ホリプロ所属となる。事務所のスタッフは「百恵でもデビュー曲はベスト3入りできなかった」と慰めたが、「おニャン子はみんな1位か2位なのに、私だけ3位!悔しくて泣いちゃいました」と、おニャン子クラブとしては奮わなかった実績を後年、述懐していた。1987年4月、おニャン子クラブを卒業。卒業生同士では、特に仲の良かった立見里歌からは「とても優しい子だけど、嫌なことは嫌だとはっきり言わなきゃダメよ」との言葉を、また高井麻巳子には「とにかく女の子らしくて羨ましかった」との言葉をそれぞれ贈り合っていた。同年8月の番組終了時までには何回かゲスト出演をし、おニャン子クラブの解散コンサートにも出演。 1989年頃からタレント活動と並行しながらカーレーサーとしての活動を開始。 1993年には『From Pheonix 内海和子写真集』でヘアヌードを披露して話題になった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内海和子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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