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内田浩一 : ミニ英和和英辞書
内田浩一[うちだ こういち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うち]
 【名詞】 1. inside 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [いち]
  1. (num) one 

内田浩一 : ウィキペディア日本語版
内田浩一[うちだ こういち]

内田 浩一(うちだ こういち、1968年9月28日 - )は日本中央競馬会 (JRA) の元騎手で、現在は調教助手栗東トレーニングセンター所属。千葉県出身。
== 来歴 ==
1988年にデビュー。同期には岡潤一郎岸滋彦菊沢隆徳らがいた。
デビュー当時は栗東の池江泰郎厩舎所属。一旦フリーとなったがその後栗東の清水出美厩舎所属、騎手引退後も清水の定年まで同厩舎に所属していた。同年3月5日阪神競馬第3競走、ヤマニンホーマーでJRA初騎乗(6着)。さらに4月10日の阪神競馬第6競走、アルピガに騎乗してJRA初勝利を挙げた。
重賞初制覇はデビュー3年目の1990年中日新聞杯 (GIII) でドウカンジョーに騎乗し達成。全15頭中で10番人気と人気薄での勝利であった。
さらに同年にはメジロマックイーンに騎乗し菊花賞を制覇。これがGI初勝利となった。最終的にこの年は26勝(うち重賞4勝)を挙げて過去最高の成績を収めたものの、結局翌年からメジロマックイーンの主戦騎手メジロ牧場の悲願である「メジロの父系による天皇賞3代制覇」を果たす為に武豊騎手に委ねられることとなった。
1993年11月6日、福島競馬場第10競走のメジロレノンズで勝利しJRA通算100勝を達成、1999年3月7日、中京競馬場第12競走のプレゼントシチーで勝利しJRA通算200勝を達成、2005年9月3日、小倉競馬場第1競走のドナラークで勝利しJRA通算300勝を達成する。
2006年からは、それまで一度も騎乗したことのなかった障害競走にも騎乗するようになった。デビュー後に障害競走の騎手免許を返上して平地競走のみで騎乗する騎手も多い中、デビューから19年目での障害競走初騎乗というのは極めて珍しい例である。
2007年1月13日、牛若丸ジャンプステークスでサフランブリザードに騎乗し、競走中に落馬頭蓋骨を骨折するなどの重傷を負ったが、療養の末、同年4月に無事復帰を果たした(同馬は次走も落馬によって競走中止。騎乗した石山繁騎手は意識不明の重体になり、後に回復したが脳挫傷の後遺症が残った)。
2008年3月20日付で騎手を引退し、清水出美厩舎にて調教助手に転向した。3月16日阪神競馬場で行われた騎手最後の騎乗となった第5競走の新馬戦では、かつて所属していた池江泰郎厩舎のケイアイフェラーリに騎乗し、1番人気に推されたが6着だった。レース後にウイナーズサークルで引退式が行われ、騎手仲間から胴上げされて3度宙に舞った。なお、最後の騎乗レースのゼッケンと実際に使用されたゴーグルは、それぞれサインが入り抽選で競馬ファンにプレゼントされた。
騎手成績は5781戦320勝(平地競走5730戦317勝、障害競走51戦3勝、重賞7勝)であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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