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内田雄一郎 : ミニ英和和英辞書
内田雄一郎[うちだ ゆういちろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うち]
 【名詞】 1. inside 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 
: [いち]
  1. (num) one 

内田雄一郎 : ウィキペディア日本語版
内田雄一郎[うちだ ゆういちろう]
内田 雄一郎(うちだ ゆういちろう、1966年2月8日 - )は日本のベーシスト作曲家東京都中野区出身。愛称は『うっちー』。インディーズ時代に使っていた芸名は「ユウ」、「ゆう」、「内田ユウ」など。

筋肉少女帯、水戸華之介&3-10chain、NESSのメンバー。筋肉少女帯の大槻ケンヂとは中学校からの付き合いである。
==経歴==

*1979年、同じ中学に在籍する大槻ケンヂらとロックバンド「ドテチンズ」(ザ・ドンズ)を結成。きっかけは、内田の13才の誕生パーティーで友人が自作の歌を即興で披露したことだった。内田はエレクトーンを担当。同バンドはメンバーの進学を期に自然解散した。
*1982年2月、大槻ケンヂとロックバンド「筋肉少女帯」を結成(当時のバンド名は「筋肉少年少女隊」)。当初はエレクトーンを弾いていたが、すぐにベースに転向した。同時期に高校の先輩であったケラ(現ケラリーノ・サンドロヴィッチ)と大槻の三人でユニット「空手バカボン」を結成、1983年にはケラの主宰していたナゴムレコードからインディーズデビューした。
*1988年6月、「筋肉少女帯」としてトイズファクトリーよりメジャーデビュー。同年10月に始まった「大槻ケンヂのオールナイトニッポン」では「大槻の話相手」として、スタジオの中に入っていた。
*1989年3月爆風スランプのベースとして、「ザ・ベストテン」に出演したことがある(江川ほーじん脱退によるサポート)。
*1995年、大槻がソロデビューすると、サポートの一員としてソロライブツアーに同行した。
*1998年、インディーズレーベル「ウチダレコード」を立ち上げ。翌年の8月8日には二階堂カズミをプロデュースしたアルバム『にかたま』を発売、ライブも行う。
*1999年7月1日、メンバー3人の脱退により、筋肉少女帯が活動を凍結。内田は筋肉少女帯メンバーとして屋号を守りつつ、大槻ケンヂ、三柴理らと共に新たなバンド「特撮」を結成。
*2000年、「特撮」を脱退。その後、大槻とはしばらく疎遠になってしまう。同年、中山加奈子らと「水戸華之介&3-10chain」結成。
*2003年、「トウスケプロジェクト」に参加。
*2005年5月5日、「大槻ケンヂののほほん学校」にサプライズゲストとして登場。大槻と「仲直り」をする。
*2006年7月、大槻ケンヂと橘高文彦の再加入により、筋肉少女帯は「解凍」。活動を本格的に再開させた。
*2010年9月三柴理長谷川浩二Thunder You Poison Viper 結成。
*2011年6月、三浦俊一、戸田宏武、河塚篤史と「NESS」結成。
*2011年、ファンキー末吉プロデュースの爆風スランプトリビュートアルバム『We Love Bakufu Slump』に参加(2011年12月25日発売)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「内田雄一郎」の詳細全文を読む




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