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内藤 やす子(ないとう やすこ、1950年9月28日 - )は、神奈川県横浜市本牧生まれの女性歌手〔『週刊朝日』1982年8月27日号、pp.43-44〕。本名は泰子〔。血液型A型、身長155cm、体重42kg。豊島岡女子学園高等学校中退。 == 来歴・人物 == 父は寿々木菊若、母は三原咲子の芸名を持つ浪曲師であったが、泰子の生後間もなく一家で東京都板橋区に移り、新聞販売店を始める〔。幼少期から三味線、長唄、小学校3年から柔道を習う(初段)〔。中学時代に二葉百合子の弟子になるが、三年で辞め、17歳のときアマチュアのロックバンドのボーカルとなる〔。マリファナはこの時代に覚える〔。24歳の時スカウトされ1975年「弟よ」でデビュー。翌1976年の「想い出ぼろぼろ」が大ヒットし、この年の新人賞を総なめにする。翌年の大麻不法所持で一時芸能活動を停止した後、1984年にリリースした「六本木ララバイ」がヒットし、1986年の「あんた」は映画「極道の妻たち」のテーマ曲としてカラオケの定番となる。 昭和から平成に元号が変わった1989年の「第40回NHK紅白歌合戦」に初出場、翌1990年の「第41回NHK紅白歌合戦」にも2年連続2回目の出場を果たした。その後ディナーショーなどを中心に歌手活動を続け、1995年に21歳年下のオーストラリア人で教師のマイケル・クリスティンソンと結婚した。〔『日経エンタテインメント』(発行:日経BPムック、2009年7月号)「新人賞獲得した歌手の今」71 - 72頁より。〕2006年5月28日、福島県福島市でのディナーショーの際に脳内出血で倒れて緊急入院。同年7月6日に退院したものの、その後は自宅療養生活に入り、長期間活動を休止していた。 病後の後遺症が残る中、夫の介護を受けながら懸命にリハビリを続け、丁度10年後の2016年3月に、本格的に歌手活動を再開する事を発表。同年3月4日、「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」に久々テレビ出演を果たし、「弟よ」「想い出ぼろぼろ」などヒット曲を歌唱披露〔内藤やす子歌手復帰・脳出血で10年間闘病・3月4日金スマ出演 - スポーツニッポン2016年2月27日付〕。翌3月5日には、iTunesの歌謡曲ダウンロードランキングで、再レコーディングの「内藤やす子ヒットメドレー2016」(弟よ~想い出ぼろぼろ~六本木ララバイ)が首位に登場。また同年夏には12年ぶりの新曲を出す予定〔復帰の内藤やす子 作品が上位独占 - デイリースポーツ2016年3月5日付〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内藤やす子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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