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内藤三津子 : ミニ英和和英辞書
内藤三津子[ないとう みつこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うち]
 【名詞】 1. inside 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [み]
  1. (num) three 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

内藤三津子 : ウィキペディア日本語版
内藤三津子[ないとう みつこ]
内藤 三津子(ないとう みつこ、1937年 - )は日本の編集者。薔薇十字社元社長。
==略歴==
上海市東洋街生まれ。姉は遠藤麟一朗の妻。6人兄弟で女手ひとつで育つ。兄や姉らも、昭和20年代の雑誌『世代』(旧制一高学生による文芸誌で、いいだもも中村稔吉行淳之介らを輩出したことで知られる)や中山書店の編集者。
1960年青山学院大学文学部英米文学科卒業。北原白秋の甥が経営する玄光社の『コマーシャルフォト』誌編集部で堀内誠一と出会う。薄給を理由に1年で同社を辞め、姉の紹介で中山書店に入社。『生物学大系』編集部を経て、8ヶ月で同社を退社。七曜社でのアルバイトを経て、1962年重森弘淹本多光夫(諸井薫)の紹介で新書館に入社。新書館では寺山修司を担当。『フォア・レディース』シリーズを手がけ、編集長として4年間在籍。『話の特集』編集部の後、1968年、天声出版の雑誌『血と薔薇』を企画、渋澤龍彦を編集長に第3号までの編集を担当。渋澤、堀内、種村季弘の協力を得て、1969年、薔薇十字社設立。田村隆一編集長の『都市』を出していた都市出版と合併後、1973年に倒産。出帆社を経て、1982年から2002年まで編集プロダクション「Nアトリエ」主宰。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「内藤三津子」の詳細全文を読む




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