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内藤 国貞(ないとう くにさだ)は、戦国時代の武将。官位は備前守。丹波守護代。内藤貞正(さだまさ)の子。同国守護を兼ねる管領の細川高国より偏諱(「国」の字)を賜り、国貞と名乗る。 内藤氏は代々丹波守護の細川氏に仕え、守護代を務めていた。国貞は当初細川高国に仕えていたが、波多野氏など有力国人豪族と手を組みこれに反抗した。高国が没落し阿波出身の細川晴元が台頭すると高国の残党と結託して引き続き反抗、天文7年(1538年)に晴元に鞍替えした波多野稙通や三好政長の追討を受けて居城の八木城を落とされた。晴元の敵として細川氏綱が挙兵すると氏綱に呼応、天文14年(1545年)に三好長慶に世木城を落とされた。 しかし天文17年(1548年)に細川晴元と三好長慶が対立すると長慶方につき独立した。天文22年(1553年)に丹波で勢力を伸ばしてきた波多野氏に対し、三好氏と組んで八上城を攻めたが、波多野氏の後援に現れた三好政勝・香西元成に八木城を落とされ戦死した。 国貞の死後は三好方の松永長頼が八木城を奪還、長頼は国貞の娘を娶って内藤家の名跡を継ぎ内藤宗勝と称し、一時的に内藤氏の勢力を盛り返したが、やがて宗勝も敗れ没落していった。宗勝と国貞の娘との子がキリシタンとして著名な貞勝(如安)であるとされる。 == 参考文献 == * 長江正一『人物叢書 三好長慶』吉川弘文館、1968年(新装版、1989年4月)。ISBN 978-4-642-05154-5 * 『戦国時代人物事典』P208、学習研究社、2009年。ISBN 4054042902 * 福島克彦『戦争の日本史11 畿内・近国の戦国合戦』吉川弘文館、2009年。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内藤国貞」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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