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内藤 尚行(ないとう なおゆき、1968年7月24日 - )は、愛知県豊川市出身の元プロ野球選手(投手)。現在はギャオス内藤の芸名で野球解説者、タレント(スカイコーポレーション所属)として活動。 == 来歴 == === 現役時代 === 豊川高等学校から1986年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。同期に土橋勝征、飯田哲也らがいる〔飯田が2004年に挙式を上げた際の立会人は内藤が担当した。〕。高卒ルーキーながら1軍ユマキャンプに抜擢され、挨拶代わりに地元の名産「ヤマサちくわ」をユマに持って行き、首脳陣、先輩、スタッフに渡した。その為、先輩に名前を覚えられたという。2年目からはリリーフ投手として活躍。1988年8月19日の阪神戦で3番手で登板し、5回を1安打無失点抑え初勝利を挙げる〔『週刊プロ野球データファイル』2013年94号、ベースボール・マガジン社P9-P10〕。関根潤三監督最終年の1989年には12勝8セーブを挙げ、オールスターゲームにも出場を果たす。 1990年に野村克也が監督に就任。当時野村について内藤は「ノムさんは現役時代の成績を見れば、ものすごい選手というのは間違いない。ただ当時は評論家のイメージが強かったのでどんな監督なのか」と思ったという〔週刊ベースボールプラス6 1950-2011 わが愛しのスワローズ 国鉄から始まった栄光の軌跡、ベースボール・マガジン社、2011年、P52-P53〕。1990年、春季キャンプで毎晩ミーティングを実施することにつき取材を受けた際、「ミーティングになると眠くなっちゃうんです」と発言し〔その番組を見ていた野村が「ミーティングで眠くなる?なあ、内藤」と名指しで言われ〔キャンプ初日のミーティングで冒頭から槍玉に上げられた。野村のミーティングを実際に聞いてみたら「話がうまいから聞き入っちゃうんです。たしかに練習の後だから眠くなることもありましたが本当に面白かった。時間も集中力が持つ1時間と決めて、必要以上にはやらない。解説者になってからミーティングで言われたことは役に立っていますね」と語っている〔。野村は1990年と1991年に二年連続して内藤を開幕投手に起用している。 1990年の開幕戦(対読売ジャイアンツ)、1失点の好投で3対1で迎えた8回1死走者2塁の場面で篠塚利夫と対戦。篠塚が放ったライトポールぎりぎりの打球が1塁塁審の大里晴信によって本塁打と判定。一気に同点となり、内藤はマウンドでうずくまった。結局、ヤクルトは延長戦の末に敗れた。この判定は当時、明らかな誤審ではないかと大きな話題になっている(詳しくは読売ジャイアンツの項目を参照)〔1990年のポストシーズンに出演した野球バラエティ番組(珍プレー特集)で上記の疑惑の本塁打について一緒に出演していた篠塚が「あれはファウルでしたね」と率直に発言、内藤は予想外の発言に唖然とするばかりであった。〕〔この映像は日テレG+で野球中継の余り時間に放送されている「GIANTS in東京ドーム」の1990年の映像として放送されている。〕。千葉マリンスタジアム最初の公式戦となった1991年5月25日の中日戦で先発し、同球場初の勝利投手となった。 1993年9月2日にナゴヤ球場で行われた中日ドラゴンズ戦では、延長15回裏に無死満塁のピンチからクリーンアップトリオ(アロンゾ・パウエル、落合博満、彦野利勝)を三者三振に斬って取り、引き分け再試合に持ち込んだ。この年の優勝争いは中日とのマッチレースで、前日の直接対決で敗れて首位奪回されていただけに、同年のヤクルト優勝にとっては重要なターニングポイントとなった〔【9月2日】1993年(平4) 無死満塁!ギャオス内藤、一世一代の3者連続三振 - スポニチ〕。その後はひじの故障もあり低迷する。 1995年に青柳進との交換トレードで千葉ロッテマリーンズに移籍。開幕してすぐに先発ローテーションに入りこの時期先発投手になかなか勝ちがつかないチームの中、1ヶ月強で先発で3勝を挙げるがまたしても怪我で戦線離脱。1996年シーズン途中に与田剛との交換トレードで地元の中日に移籍するも故障は癒えず、1997年に29歳の若さで現役を引退。2度のリーグ優勝を経験しながら、日本シリーズは未登板で選手生活を終えた(ただし、偵察要員として出場歴がある)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内藤尚行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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