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内藤忠興 : ミニ英和和英辞書
内藤忠興[ないとう ただおき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うち]
 【名詞】 1. inside 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [こう]
 【名詞】 1. interest 2. entertainment 3. pleasure 

内藤忠興 : ウィキペディア日本語版
内藤忠興[ないとう ただおき]

内藤 忠興(ないとう ただおき)は、江戸時代前期の大名陸奥磐城平藩の第2代藩主延岡藩内藤家宗家初代。
== 生涯 ==
天正20年(1592年)2月1日、徳川家康の家臣(後の平藩の初代藩主)内藤政長の長男として生まれる。
慶長19年(1614年)、大坂冬の陣のときに父と共に安房国の留守を命じられたが、血気盛んで武勇に優れていた性格の持ち主である忠興は、兵を率いて伏見城にまで参じ、家康の側近中の側近であった本多正信に参陣を頼み込んだという。正信は家康に相談し、家康はこれを喜んで許し、井上正就配下のもとで参陣させている。
慶長20年(1615年)3月、父が1万石の加増を受けたとき、忠興も冬の陣における功績で1万石の所領を与えられた。同年の大坂夏の陣では酒井家次に従って参陣して武功を挙げ、この功により1万石を加増された。元和8年(1622年)、政長が磐城平藩7万石に移封されたとき、忠興は陸奥泉藩に2万石を領する大名となった。寛永11年(1634年)、父が死去すると家督と所領を受け継ぎ、それまでの所領であった泉は弟の内藤政晴に相続させた。
その後、忠興は藩政に力を注ぎ、新田開発や検地などの農業政策、厳格な税徴収などを行ない、平藩の石高を実質的に2万石も増加させた。寛文10年(1670年)、長男の義概に家督を譲って隠居する。
延宝2年(1674年)10月13日に死去した。享年83。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「内藤忠興」の詳細全文を読む




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